A08 巡り巡って

 今日一日だけ相手してあげてくれないかな。
 そう言って叔父さんが連れてきたのは一人の子ども。自分の年齢から指折り数えて、おおよそ七歳くらいと推定する。はえー、若いな。小さい子、しかも最近の若い子の相手なんてしたことがない。はたして自分で良いのだろうか。
「ユウにしか頼めないんだよ」
 いやはや狡いものだ。そんな言われ方をしたら、断るものも断れないじゃあないか。でも、まぁ、端から断るつもりはなかったけど。
 叔父さんの隣に居た子どもに目線を合わせる。ショートカットの利発そうな子。こんにちは、と言ったら、こんにちは、と現状にまだ慣れていないような、緊張した声が返ってきた。初対面なのだから仕方ない。よろしく、ナツキ。手を差し出せば、ナツキは少し不安そうな様子で、こちらの人差し指だけをキュッと握り返してきた。何だいその反応。可愛いじゃないか。ついでに叔父さんの様子も窺うと、安心した顔でナツキのことを見つめてた。それでこっちも安堵。良し良し。スタートダッシュはまずまずといったところかな。

 ナツキの家はちょっと複雑なところがあって。
 まず母親が亡くなってる。父親は居るけど海外出張勢で、父方の祖父母がナツキの面倒を見てるらしい。ん、だけど、これがまたいろいろあって、祖父母とナツキの関係というか、相性のほどが良くないそうな。ネグレクト! 家庭内暴力! とか、そういう話じゃないんだけど、七歳のナツキには厳しい環境らしく。たぶん今日の集まりは、その辺りどうするかっていう話し合いなんだと思う。
 子ども一人の養育費を考えると、叔父さん達で引き取れば良いじゃんなんて軽々しいことは言えたものじゃない。こちらもこちらとて、預かる分には良いけど世話となればまた別問題。極めて交友関係も狭く、身内ともあんまり連絡取らない一人身が子どもの面倒なんて見れる訳がないのだ。叔父さんもそれを判ってるから、話し合いへの参加を強制してこないんだと思う。おんぶに抱っこだ。申し訳ないという気持ちと、ぶっちゃけ自分が関係あるかどうか判らないデリケートな部分なので触りたくないという気持ちで、なんともモヤモヤするところではある。
 しかし、それはそれとして。
 ナツキを預けてきた理由の一つはこれなんじゃないかと予測してるのが、ゲーム機である。最近の子どもはあれほら、外で元気に走り回るよりもゲームで対戦して遊ぶ方が好きなんだっけ。偏見だけど。ナツキの家にゲーム機はない。家庭用も、携帯用も。
 という訳でナツキを椅子に座らせて、小さな手にコントローラーを持たせた途端、そりゃあもうキラキラと擬音が舞い踊るかのように目を輝かせて、夢中になって遊び始めた。待って、待って。困った。可愛いぞ。無邪気って凄いなぁと感心してから、何か妙なところに感心してしまったと一人で苦笑。一通り遊んだ後、これ対戦もできるよと教えてあげると、予想以上に食いつきが良かった。
 かくして、やり込み百パーセントゲーマー対小さな初心者の戦いの火蓋は切って落とされたのだった。
 いや、ちゃんと手加減したよ。さすがにね。

 とはいえ甘やかし過ぎるのも毒なので、一日一時間、一じ、うーん、うん、まぁ、その、一回二時間の決まりに則り休憩を挟むことにした。お昼を食べるのにちょうど良い時間だったし。ナツキは素直に従ってくれた。ゲームを介した友情によって、すっかり心を許してくれたようだ。
「ユウさん、手伝います」
 お皿を並べてたらナツキが足元に寄ってきた。ひえぇ。二回り以上も下の子に敬語使われるのって、すごくこそばゆい。ゲームしてた時は普通だったじゃないか。よほど夢中だったんだろうなあ。それで、落ち着いてから我に返って言葉遣いを直したとか、そんな感じかな。かなり勝手な想像だけど。
 よっこいしょと心の中で呟きながらしゃがんで、ナツキに平皿を渡す。ユウで良いよ。あと、もっと普通にして良いよ。――もっと普通にして良い、なんて抽象的な言い回しで判ってもらえるかなぁと一抹の不安はあったものの、ナツキはちょっと困った風な素振りを見せながら、「……良いの?」と聞き返してきた。へえぇぇぇ、子どもって可愛いんだなぁぁぁ、へえぇぇぇ。いや、相手がナツキだからそう感じるのかも。仮に、言うこと聞かない腕白小僧を一日中相手しろと言われたら、可愛い可愛いなんて連呼する感情も余裕もわかない気がした。ナツキがおとなしい子で良かった。
 あ、いや、おとなしいともちょっと違う。ゲームしてる時は楽しそうな声をあげてたし、負けて悔しがる時は両足をパタパタと動かしてた。お昼を食べてる時なんか、学校行事で近所の自然公園に行ったことを、身振り手振り付きで話してくれた。ちなみにお昼はホットケーキ。市販の粉に指定の材料を入れて混ぜて焼くだけなんだけどね。それでも、美味しい美味しいと褒めてもらえるのは悪い気がしない。ホイップクリームいっぱい乗せてあげた。おっきい声を出して喜んでた。煩くない程度のおっきい声。ゲームしてる時と同じような声。
 うん。明るくて、周りを気遣う優しい子。くらいが妥当かな。

 お昼を食べ終わる頃にはナツキもこの家にすっかり慣れたようで、洗い物してる最中ずっと、部屋の中を端から端まで歩き回って散策してる気配を感じてた。そこで勝手に物を手に取ったり、引き出しを開けて漁ったりしない辺り、教育が行き届いてるなぁと実感する。七歳にして仕草も上品なのだ。という細やかな部分を目の当たりにすると、そうだよな、祖父母さんも大切に育てようとはしてるんだよな、なんて。会ったこともないナツキの保護者さんに同情なんかもわいてしまう。難しいなぁ。外野の自分が難しいと唸るのだから、話し合いに尽力する叔父さん達はもっと大変なんだろうな。と。
 あれ。ナツキがリビングに居ない。お昼食べたらまたゲームしようって話してたのに。まぁ、そんなに広い家じゃないので、ぐるりと見渡せばすぐに見つかる。ショートカットヘアーの小さな後ろ姿。細くて短い廊下の先にポツンと立って、玄関口の絵画を見上げてた。あぁ、そういえば最初に家の中に入る時も気にしてたなぁ。なるべく足音を立てないように近付いて、隣に立つ。ナツキがこっちを見た。
「これ、白いクジラさんの絵?」
 なるほど。ナツキにはそう見えたんだね。
「違うの?」
 クジラさんのシルエットをよく見てごらん。これはね、おてての絵なんだよ。涼やかな青一色に水泡のような、たなびく雲のような白い模様。それら背景の色を三分の一ほど塗りつぶして描かれた白いシルエットは、上へ上へと伸ばされた手だと、描いた本人から聞いたことがあった。救済の意を込めたと言ってた。昇華を表現したんじゃなかったのか、と自分の解釈が違ってたことに心の中で慌てたものだ。すると別の人が「落下してる人の手かと思った」なんて大声で言って、
「見る人の数だけいろんな風に評価されていくのが、創作の面白いところですよね」
 嬉しそうに笑うサトエの表情から、彼女にとって救済が何を指すのか、なんとなく判ったような気がした。
 ちょっと首を傾け、認識の仕方を改めてみる。なるほど確かに、口を開けたクジラの絵に見えなくもない。ナツキの視点なのか、子ども特有の視点なのか、いずれ着眼点が面白いなぁと感心してしまった。豊かな発想力が欲しいなぁ。
「どうして、おてての絵を飾ってるの?」
 大切な後輩、うーんと、友達が描いた絵だから。上に手を伸ばしてる絵なんだって、と自分の手で絵画のシルエットを真似てみせる。ナツキも同じように手を動かした。「白くないとクジラに見えないね」ふにゃりと笑ってナツキは言った。
「あの写真はだぁれ?」
 絵画の隣に飾ってるのは、妹一家の写真だ。妹は三つほど歳が離れてて、それこそ子どもの頃は正真正銘の腕白小僧だった。何回泣かされたか判らない、何回一緒に怒られたかも覚えてない。中学生の時に不良グループと揉め事を起こし、全員に勝ってしまった、ある意味で我が母校の裏番長。あの時は本当、こっちも変なやつに絡まれるわ、父さんは連日学校に引っ張り出されるわ、大変な騒ぎになったものだ。そんな妹も、今ではすっかり二児の母。勝気な性格は相変わらずだけど、無鉄砲だったあの頃に比べたらずいぶん穏やかな気質になった。きっと、今日も今日とて高収入の旦那を元気に支えてることだろう。
 自慢の妹かどうかはさて置き、大切な身内ではある。
 たとえ血の繋がりがないとしても。

 正直、そこそこ小さい頃の話だからあまり覚えてない。父さん曰く、妹が不良グループ全員倒したあの時なんか全然比にならないくらい揉めたとのこと。――新生児の取り違え。三歳下の妹は赤の他人だったのだ。一回だけ、本当の家族と顔合わせもしたらしい。そのことは自分が成人した時に聞かされて、妹共々、ふーんの一言で済ませてしまった。だって、親の目を離れたところでよく喧嘩もしたけど、昔から一番の遊び相手だったし、良き相談相手でもあったから。それに何だか今更だなって気持ちもあって、物心つく前の大事件で良かった、面倒事の思い出がなくて良かったと笑い話にして終わらせた。妹なんか話のタネが出来て良かったと余計に喜んでたくらいだ。まぁ、こちらがそんな感じだったせいだろう、そのあと父さんは数日くらい寝込んだ。ちょっと薄情だったかなと反省してる。
 大切と言えば、サトエのこともけっこう大切。所属してた同好会で知り合った大学の後輩。一見すると物静かな印象だけど、好きなことに熱中してる時の集中力と、好きなものの話をしてる時の熱量が物凄い子だった。困ったことに趣味は全く合わなくて、サトエが楽しげに喋る内容は共感し難いものばかり。後で聞いたところによると逆も然りだったらしく、盛大に笑い飛ばしたっけ。そう、彼女と趣味は合わなかったがウマは合ったのだ。就職してからも連絡を取り合い、喫茶店で楽しくいろんな話をした。世の中の愚痴も言い合った。父親と喧嘩したから話を聞いてほしい、なんて電話がかかってきたこともある。片手に缶ビール、目の前にパソコン。インターネットを弄りながら、非常に気の緩んだ状態でサトエの言い分を聞いてあげたものだ。その際、喧嘩の経緯を知る上で、彼女の身の上話を初めて聞くことになる。両親と血の繋がりがないことや、それをきっかけに離婚、転居、再婚等々あったこと。孤独を感じた時期があったこと。今はさほど気にしてないこと。本当の家族と一回だけ会ったけれど、とても小さかったから覚えてないこと。
 本当の家族と。一回だけ。

 急に思い出したことがあって、ナツキに手伝ってもらいながら家中をひっくり返した。けっきょく「それ」は、ナツキの手では届かない箪笥の上、小物入れの中から見つかった。三色のビーズで作られたブレスレット。紐で結ぶタイプのものだから、長さを調整すればナツキの手首にも付けることができた。親から子どもへ。代々受け継ぐものになると良いね、なんて言ってたっけ。しかし結婚相手のアテがないとオチをつけて、やっぱり笑い飛ばしたのだ。
「ユウが作ったの?」
 ナツキはマジマジとブレスレットを見て、ふにゃりと表情を緩ませる。「お母さんがくれたのと似てる」
 小物入れから発掘されたのはそれだけじゃなかった。一昔前に流行った、掌大のタマゴ型の育成ゲームだ! 懐かしさと突然の思いつきにより、再びナツキと家中をひっくり返して新品のボタン電池を探し出す。ドライバーはいつもの場所。背面の電池を交換すると、機械が空気を読んだのか、劣化した様子もなく正常にゲーム画面を表示してくれた。すぐにミニゲームの遊び方と、世話の仕方を教えてあげる。育て方によって姿が変わるんだ。良かったら、ブレスレットと一緒にプレゼント。――ナツキは初めてコントローラーを握った時と同じ顔になり、良いの? 良いの? と何度も尋ねてきた。うん、うん。良いとも。もう使わないやつだし、このくらいなら怒られないだろう。大切な友人の子どもにオモチャの一つや二つ、あげたくなる気持ちも察してほしい。

 それから三十分後に、叔父さん達がナツキを迎えに来た。するとナツキが予想以上に寂しそうな顔をするものだから、ブレスレットを付けた方の手を握って、いつでも遊びにおいでと言ってあげた。自分がこんな台詞を言う側に回る日が来るとは。いやはや事実というのは小説よりも奇なり。
 ナツキはちょっと驚いた顔をしてた。それから、少しだけ泣きそうな表情に変わって、でも本当に泣くまではいかなかった。小さな手が控えめに、ゆっくりと、段々と強く、握り返してくる。ん、あれ、もしかして。思うところがあり、叔母さんと並んで車へ歩いてくナツキの後ろ姿を眺める。もしかしての気持ちが大きくなった。
「どうだった?」
 叔父さんの問いかけはとても抽象的だ。ひとまず、アクセサリーとオモチャをプレゼントしたと回答した。それと、父親似で良かったってこと。勝手な思い込みだけど、母親に似て病弱そうじゃなくて良かったかな。ナツキの本当の祖母も、ナツキの母親と同じ病気で亡くなってるから、ちょっとだけ、心配だった。杞憂のままだと良いなぁ。なんて呟いたら、ユウも体調管理はしっかりしろよと言われてしまった。ぐうの音も出ない。
 あぁ、それと。玄関を閉める前に叔父さんに伝える。ナツキはしっかりした良い子だけど、それに甘えたら駄目だよ。ちゃんと手を繋いであげて。寂しがってる。叔父さんは目を丸くしてから、一回、二回と頷いて、判った、と言った。「ユウに頼んで良かった」叔父さんそういうところだよ。狡いなぁ。褒められて緩みかけた表情をキッと引き締めたら、叔父さんに笑われてしまった。叔父さんの笑った顔は父さんに似てると思った。そういえば、ナツキの笑った顔は母親似かもしれないと思った。

 一人で絵画の前に立って考える。ナツキはどんな気持ちでこの絵を見つめてたのだろう。考えても考えても判らない。他人の気持ちなんて判らない。ましてや子ども。絵の中の手にそっと触れる。ナツキにも触らせてあげればよかったと、ちょっとだけ後悔。
 ナツキにとっての救済がどんな形をしてるか判らない。でも、あの小さな手は誰かが掴まえててあげなきゃいけないと感じた。ユウに頼んで良かった。叔父さんの声が蘇る。いやいや、世話は無理だって本当。さすがにそこまでの責任は背負えない。だけど、うん。せめて、何かあった際のナツキの逃げ場所くらいには、なってあげられたら良いな。
 サトエにとっての自分がそうだったように。
 自分にとってのサトエが、そうだったように。