A10 ハンスと五本指の魔法

 この世に魔法があった頃。
 天使も悪魔も魔女も妖精も、堂々と地上を闊歩していた、そんな時代の、とある国でのお話です。

 靴屋のハンスの元に、客の一人が面白い話を持って来ました。
 それは、この国の王様がお姫様の足にぴったり合う靴を求めているという話です。
 王様は一粒種であるお姫様のことを、目に入れても痛くない程に可愛がっておりました。
 それは、お姫様の足に肉刺
まめ
が一つできただけで、新しい靴をこさえる靴職人を、大慌てで国中から探し求めることからも分かります。

 お姫様の小さな足を優しく包み込むような、美しくて高貴で柔らかい靴を用意すれば、それはそれは素晴らしい褒美が貰えるに違いありません。

 ハンスは最近親方の元から独立したばかりの、まだ若い職人でした。若いハンスには他人に認められたいという野心もあれば、難しい注文に挑んでみたいと言う冒険心もあります。
 ハンスは最高の靴を作ってお姫様に献上する為、王様のいる都まで旅に出ることにしました。


 靴職人のハンスが道具一式を抱えて旅に出ると、道の端にひとりの老婆が座り込んでいるのが見えました。
 老婆は痛そうに足の先を擦っており、そのすぐ側に無骨な木靴が無造作に転がっておりました。
 どうやら大きさの合わない靴を無理に履いて歩いたことで、足を痛めてしまったようです。

 普段、ハンスはそこまでお人好しではありません。
 しかし、旅に出たばかりのハンスは少しだけ上機嫌でした。

「ついているな、婆さん。俺は今まさに、腕試しの旅に出たばかりなんだ。験担ぎに婆さんの靴を一足誂えてやろう」

 そう言って、ハンスは手持ちの革と糸で、器用に老婆の靴を作ってあげたのです。
 足を痛めていた老婆は、柔らかい革の靴に大変喜びました。

「お若いの、お前さんはなんと親切なことだろうよ」
「なあに、この程度のこと、ほんの片手間さ」

 感謝され誇らしげに胸を張るハンスに、老婆は言いました。

「ではお前さんの旅が上手くいくように、アタシも片手程度の手助けをしてやろう」

 老婆がハンスの左手を掴むと、五本の指が燃えるように熱くなりました。慌てて手を取り返したハンスに、老婆は言います。

「何か困ったことがあれば、爪を軽く擦るといい。きっと助けがあるはずさ」

 老婆の言葉にぎょっとして手を見ますと、左手の指が五本とも爪の先から根元まで、黒く染まっております。そしてハンスが顔をあげた時には、老婆の姿はどこにもありませんでした。
 どこまでも続く一本道の、行く道にも来た道にも、老婆らしき姿は影も形も見えません。
 こんなことができるなんて、あの老婆は、魔女か悪魔か天使か妖精か、ともかく人ならぬ何かだったに違いありません。

 しかし今更慌てても後の祭り。
 ハンスは黒く染まった左手の指を見て、仕方がないと溜め息ひとつ。気を取り直して旅を続けるのでした。


 旅の途中でハンスは、大きな川に差し掛かりました。
 しかし上流で降り続いた大雨のせいで川は溢れ、ごうごうと唸り声をあげております。橋は流され、渡し船も漕ぎ出れば最後、海までいっきに流されること請け合いです。
 これでは王様のいる都まで、とうてい辿り着けません。

「困ったなぁ」

 ハンスは途方にくれました。そしてふいに老婆の言葉を思い出します。
 ハンスは駄目で元々だと、黒く染まった親指の爪を、指先できゅいっと擦りました。

 するとどうでしょう。
 黒い爪からはモクモクと黒い煙が立ち上がり、それがすっかり晴れた時にはまるで巨人の親指くらいありそうな大鷲が、羽根を広げていたのです。

 びっくり仰天するハンスの肩を、大鷲は巨大なかぎ爪で掴みます。
 そしてそのままひとっ飛び、川を越えてしまったのです。

「おお、こいつは助かった。ありがとうよ」

 大鷲はハンスを川の対岸に降ろすと、そのまま空の向こうに飛んでいってしまいました。
 ハンスの左手の親指は、元の色に戻っておりました。
 



 無事に川を渡ることができたハンスは、山に足を踏み入れました。
 お姫様の足を優しく包み込む、美しくて高貴で柔らかい靴を作ろうと思ったら、そんじょそこらにあるような、ありきたりな革は使えません。
 そこで山にいるという、とても美しい白鹿を捕まえようと考えたのです。

 七日七晩、山を彷徨い歩いたハンスは、とうとう白鹿を見つけることができました。
 しかし、この白鹿はたいへん逃げ足が速い上に頭も良く、決して罠にはかかりません。それどころか自分を捕らえようとするハンスを嘲るように、野宿するハンスの枕元で糞をして、それを後ろ足で引っ掛けて去るような真似さえします。

 これにはさすがのハンスも、かちんときました。
 からかいでもするように、わざとらしく姿をあらわした白鹿を前に、ハンスは黒く染まった人差し指の爪をきゅいっと擦りました。

 するとどうでしょう。
 黒い爪からはモクモクと黒い煙が立ち上がり、それがすっかり晴れた時にはまるで巨人の人差し指くらいありそうな、巨大な狼が唸り声をあげていたのです。

 あまりの恐ろしさに、ハンスは凍り付いたように身動きが取れなくなりました。しかし巨狼はハンスには目もくれず、一直線に白鹿を追って駆け出します。
 ほどなくして巨狼は、仕留めた白鹿を引きずってハンスの元へ戻って参りました。

「こ、こいつは助かったよ……。ありがとうよ」

 ハンスはぶるぶると震えながらも、お礼を言います。けれど巨狼はその場から離れようとはしません。
 どうしたことかと困ったハンスでしたが、ふと思いついて毛皮を剥ぎ、夕飯用の腿肉を少しだけ頂いた残りの鹿を巨狼に恐る恐る差し出しました。
 巨狼は鹿肉を銜え、悠々と山の奥へと消えていきます。
 ハンスの左手の人差し指は、元の色に戻っておりました。

 

 美しい白鹿の毛皮を手にしたハンスは、山をくだり、改めて王様のいる都へと向かいました。
 しかしあと少しで山をおりるというところで、三人の山賊が道を塞ぎます。

「我ら山の三兄弟。この山を根城にする山賊だ」
「どうやら大層良いものを手に入れたようじゃねえか」
「だが、この山から獲物を持ち出すなら、まず俺様たち三兄弟に話を通してくれねえとな」

 そう言って山の三兄弟は、ハンスに通行料を求めてきました。
 長男は、ハンスの有り金すべてを。
 次男は、ハンスの仕事道具一式を。
 三男は、先ほど手に入れたばかりの美しい白鹿の毛皮を。

 しかし、山賊たちの要求にハンスは頷く訳にはいきません。
 有り金すべてを渡してしまったら、王様のいる都に向かうことができなくなってしまいます。
 仕事道具一式を渡してしまったら、ハンスは職を失ってしまいます。
 そして美しい白鹿の毛皮を渡してしまったら、お姫様の足を優しく包み込む、美しくて高貴で柔らかい靴が作れません。

 その為、ハンスはどうにか勘弁してもらおうと、山の三兄弟に頼みましたが、欲深い山賊たちは当然聞き入れませんでした。
 それどころか、従わないのならその命もろともに奪い取ってやると、ハンスに襲いかかってきたのです。

 絶体絶命の危機に陥ったハンスは、悲鳴を上げて頭を抱えます。
 そして黒く染まった中指の爪を、慌ててごしごしと擦りました。

 するとどうでしょう。
 黒い爪からはモクモクと黒い煙が立ち上がり、それがすっかり晴れた時にはまるで巨人の中指くらいありそうな大男が、ハンスを守るように山賊たちの前に立ちはだかったのです。

「何だお前は!」
「お前もこの男の仲間だな!?」
「邪魔をするなら、まとめてやっつけてやる!」

 山賊たちはそう言って、次々に大男に襲いかかりました。
 しかし大男は赤子の手でも捻るかのように、やすやすと山の三兄弟を叩き伏せてしまったのです。

 這々の体で逃げていく山賊たちを見送って、ハンスは大男にお礼を言いました。

「危ない所を助けて貰った。本当にありがとう」

 大男は黙って首を振り、ハンスとともに山を下りると、違う方向へ別れていきました。
 ハンスの左手の中指は、元の色に戻っておりました。



 旅を続けたハンスはようやく、王様のいる都まで辿り着くことができました。
 都のあまりの賑やかさに、ハンスはくらくらと目眩がします。
 しかし、道中ハンスがこつこつと作り上げた、お姫様の足を優しく包み込む、美しくて高貴で柔らかい靴は、都のどんな大店の商品にさえ引けを取らない物でした。

 ハンスは意気揚々と、王様のいるお城へと向かいます。
 しかし、お城の門番は頑としてハンスをお城に入れようとしませんでした。

「お前のような小汚い田舎者が、どうして王様にお目通りが適うと思うのだ」
「しかもお姫様の靴だと? おこがましいことを言う奴だ。お前の靴なんて、農家のおかみさんに履かせるのがお似合いさ」

 二人の門番は鼻で笑うと、槍の石突きでハンスを小突いて追い返してしまいました。
 確かにハンスは長い旅を続けてきた所為で、薄汚れております。田舎者であることも、間違いではないでしょう。
 しかしながら、ハンスが一生懸命作ったお姫様の為の靴を、一目見ることもせず馬鹿にされるのは、我慢できないことでした。

 ハンスは悔しさにぎゅっと握りしめた拳を解くと、黒く染まった薬指の爪を、きゅいっと擦りました。

 するとどうでしょう。
 黒い爪からはモクモクと黒い煙が立ち上がり、それがすっかり晴れた時にはまるで巨人の薬指くらいありそうな、大柄の老執事が立っていたのです。

 老執事は、ハンスに深々と頭を下げると言いました。

「それでは旦那様、さっそくむかいましょう」
「むかうって、どこへ行くんだ?」

 ハンスは目を白黒させますが、老執事は構わずどんどんとハンスを連れて歩きます。
 まずハンスが連れて行かれたのは、風呂屋でした。長旅でこびりついた垢がすっかり洗い流されます。
 次にハンスは床屋で、伸びっぱなしの髪や無精髭をさっぱり整えられました。
 最後に連れて行かれた服屋ではハンスの為に、流行の服が誂えられます。
 老執事の見立てできちんと身なりを整えたハンスは、まるで立派な大店の主のようでした。

「ああ、これならきっと門番に止められることもないだろう。ありがとう、助かったよ」
「勿体ないお言葉でございます、旦那様」

 老執事は深々と頭を下げて、お城に入るハンスを見送りました。
 ハンスの左手の薬指は、元の色に戻っておりました。



 ついにハンスは王様の前で、お姫様の靴をお披露目できることになりました。
 しかしその場には、ハンスの他に何人もの立派な職人が、これぞという靴をそれぞれ携えております。

 ある職人は銀でできた靴を用意しておりました。
 別の職人は、硝子でできた靴を用意しておりました。
 他の職人は、宝石を張り付けた靴を用意しておりました。
 どの靴も眩しく光り輝き、しかもとっても高価そうです。

 王様は言いました。

「皆の者、我が姫の為によくぞ靴を持って参った。さっそく姫に履かせてみよう」

 職人たちは靴を差し出し、一斉に頭を垂れました。ハンスも白鹿の靴を置いて、深々と頭を下げます。
 やがて小さな足音が、隣の隣の隣から聞こえました。きゅっと靴の中に足を押し込む気配がします。

「この靴は足を包み込んでくれるけれど、銀でできていて固すぎるわ」

 また小さな足音が、隣の隣から聞こえました。

「この靴はとっても美しいけれど、硝子でできていて冷たいわ」

 さらに小さな足音が、隣から聞こえました。

「この靴はとっても高貴だけれど、宝石がごつごつしていて痛いわ」

 そして小さな足音がしたと思うと、ハンスの目の前で、白く小さな足が白鹿の靴に足を差し入れました。

「この靴は足を優しく包み込んでくれるし、美しくて高貴で柔らかいわ! わたくしは、この靴が気に入りました」

 その言葉に、ハンスは嬉しさのあまり思わず顔を上げました。
 目に飛び込んできたのは、柔らかそうな肢体に、高貴な佇まい、美しいかんばせに、優しく包み込んでくれそうな雰囲気を持つお姫様です。

 ハンスは一目でお姫様を好きになってしまい、稲妻に打たれたように、お姫様から目が離せなくなりました。
 お姫様もハンスに見惚れてしまったようで、目を熱く潤ませ、ぽっと頬を赤らめます。

 そんな二人の様子に気付かず、王様はハンスに言いました。

「よくぞ姫の気に入る靴を用意した。褒美は何が良いか?」

 その言葉に、ハンスは思わずお姫様と結婚させて欲しいと願ったのですが、さすがに聞き届けられるはずがありません。

「面白い冗談だ。だが姫を靴職人と結婚させられるはずがないだろう。金貨をたっぷりくれてやるから、それで嫁でも探すがいい」

 王様はハンスに金貨を押し付けると、城から放り出してしまいました。


 城を追い出されてしまったハンスですが、それでもお姫様を忘れることができませんでした。
 しかし、ただの靴職人であるハンスには、どうしたってお姫様と結婚できる方法はないのです。
 がっくりと肩を落としてしまったハンスでしたが、最後の希望を託して、黒く染まった小指の爪を、そっと擦りました。

 するとどうでしょう。
 黒い爪からはモクモクと黒い煙が立ち上がり、それがすっかり晴れた時にはまるで巨人の小指くらいありそうな、お姫様そっくりの体格でお姫様そっくりの顔の女性が立っていたのです。

 目を輝かせたハンスでしたが、思い直したように首を振ります。

「来てくれてありがとう。しかし、本物のお姫様でなければ意味がないんだ」

 ハンスがそう言うと、女性はどこかへ去っていってしまいました。
 ハンスの左手の小指は黒いままです。
 
 日も暮れ、冷たい風が吹き始めました。
 ハンスが未練がましくお城の側に留まっていると、ふいに小さな足音がハンスの耳に飛び込んできました。
 顔を上げると、先ほどのお姫様そっくりの女性が走ってくるではありませんか。

「職人様、お慕いしております。どうかわたくしを貴方の妻にしてください」

 お姫様そっくりの女性にそう言われるのはとても嬉しいことでしたが、やはりハンスが結婚したいのはお姫様本人でした。
 ハンスは、遠回しに断ることにしました。

「今はこんな身なりをしているが、俺はただの靴職人だ。結婚しても、お前さんを靴屋のおかみさんにしかしてやれないよ」
「しょうちしておりますわ」

 しかし、女性は頷きます。

「俺の住まいはここから遠い田舎だ。都にあるものは、何もないぞ」
「それも分かっておりますわ」

 女性はまた頷きました。

「俺は歩いてここまで来た。帰りも長い道のりを歩かなければならないぞ」

 女性は言います。

「大丈夫ですわ。この足を優しく包み込んでくれる、美しくて高貴で柔らかい靴があれば、どこまでも歩くことができますもの」

 その言葉に、ハンスはようやく彼女がお姫様本人であることに気付きました。
 お姫様そっくりな女性はお姫様と、お城で入れ替わったのです。
 ハンスは大喜びで、お姫様を自分の家へと連れて帰りました。

 それ以降、どこかの田舎の靴屋では、若い職人とお姫様によく似たおかみさんが、仲睦まじく暮らす様子が見られたということです。