A11 黄昏時にその店は開く

 それは、とても不思議でキラキラしたものに見えた。
 お肉、お魚、野菜たち――。それらがお母さんの手によって形を変え、フライパンや鍋の上で踊り、美味しい食事として、お皿の上に収まる様を飽くことなく見つめていた。
 お母さんが微笑みを浮かべて「ごはん、できたよ」と言うのが、魔法使いのようでわくわくしたのを覚えている。
 あたしはその魔法の手が欲しいとずっと思ってた。


「まぁ、魔法なんて素敵なものじゃないけどね」
 あたしはひとり呟いて、まな板の鰆を見つめた。出刃包丁を握りしめて、身に刃先を差し入れる。
 こうも大人になってしまえば、あれは料理というものだとは分かってる。それでも母の手際の良さには今思い出してもほれぼれするほどだった。
「明良ー、今日はなに?」
「あれ、大地。今日早いな」
 扉を開けて入ってきた男子小学生は、大地。毎日ここでご飯を食べていく常連だ。いつも一番奥のカウンター席で、厨房のあたしと向き合うように座る。
「今日は鰆。塩焼きにでもするかなー」
「うえ、魚かよ。肉が良かったな、肉!」
「肉は昨日食べただろ」
 続いて入ってきたのは、恒春。成人して何年か経つ男だ。こちらも毎日と言って良いほど大地とほぼ同じ時間に寄っていく。仕事は建設業でいつもペンキや泥のついたニッカポッカを履いている。あたしとしてはここに入る前に泥ぐらいは落としてほしいところなんだけど。花奈ちゃんという可愛い彼女はお仕事が忙しいので、彼女の分の食事もあたしが作った料理だ。毎回お持ち帰りのパックに詰めてあげている。
「明良、酒ー!」
「だからここは飲み屋じゃないっつの」
 あたしは大地と恒春の前に、水の入ったプラスチックのカップを置いた。


「フライうめー!」
「俺は塩焼きでも良かったが、フライもいいな」
 結局、鰆はフライに化けた。二人の前に置くと早速がぶついている。あたしも自分の分にかぶりついた。
「んー、もう少し塩コショウしてもよかったかな」
 それでもアツアツのフライはとても美味しく感じられて、あっという間に食べてしまう。食事を終えたあたしは鍋を出した。
「今度は何するんだよ。もう食べれねーぞ」
「これは明日の分。牛肉が安かったから買っちゃったんだよ。煮込み料理なら時間かけられるし、まぁいっかって思って」
「お前、本当無計画なのに、ここ上手くいってんだな」
「採算とか考えてないからね。目的はもらったり廃棄になりそうな食材の救出だから」
 厳密に言えばここは飲食店ではない。ただあたしが料理を作り、ふらりと立ち寄った人がそれを食べるだけだ。余りは冷凍や保存できるよう加工したり、まぁ今のところ上手くやっている。
 食べ終わった二人と話しながら、人参や玉ねぎを刻む。
「もしかして、カレーか!?」
 大地がキラキラした目でまな板の上を見つめている。あたしがうなずくと、大げさなほどに大きなガッツポーズを作る。
「やったー!! オレ、カレー大好き!」
「お子ちゃまだな」
「うっせーよ、恒春。あんたはカレー嫌いなのかよ」
「まぁ、好きだがな」
 恒春が席を立つ。ごっそさんと声をかける彼に、パックの入ったビニール袋を手渡した。
「これ! 花奈ちゃんの分」
「おー、忘れてたわ」
「忘れんなよ。あんたに任せてたら、花奈ちゃんの健康が心配になるわー」
 あたしが差し出した袋を受け取ると、入口近くの貯金箱に五百円硬貨を二枚投入した。
「カレー、よく煮込んどけよ」
「言われなくともやりますよーだ!」
 憎まれ口をたたく恒春の背中を見送ると、大地も席を立った。
「オレも帰るわ。また明日な!」
「おー、カレー楽しみにしとけ!」
 同じように貯金箱に千円札を突っ込んでから扉を開ける大地を、あたしは笑って見送った。


 あたしは小型トラックの運転席から勢いよく降り立った。目の前にいるのはお婆ちゃんだ。
「嶋子さん、今日の目玉は内田精肉店の牛肉だよ」
「おお、助かるねぇ」
 後ろの荷台から出した発泡スチロールの箱を玄関まで運ぶ。その後ろをお婆ちゃん――嶋子さんがゆっくりとついてくる。
「冷蔵庫、入れとこか。発泡スチロール持ち帰っておくね」
「本当に明良ちゃんは親切ねぇ。私らの集落まで町から遠いんだろう?」
「これがあたしの仕事だから、任しておいてよ! 嶋子さん、次は明後日になるけど何が欲しい?」
 靴を玄関で脱いで、板張りの廊下を歩く。あたしは難なく嶋子さん家の冷蔵庫にたどり着いて、肉のパックをその中にしまった。
「そうだねぇ、川の魚も食べ飽きたし、今魚は何が旬かねぇ」
「あたし昨日鰆食べたけど、美味しかったよー」
「本当かい。じゃあ、鰆を頼もうかねぇ」
 嶋子さんから他に必要なものを聞き取り、ポケットに入れていたスマホのアプリに入力する。代理注文ってやつだ。
「そうだ、明良ちゃんこれ持ってって。山で獲った筍」
「わぁありがと! 嶋子さん、嬉しいー」
 ビニール袋に入った下茹で済の白い筍に心躍らせる。日中の仕事でこう町や村を回っていると、色々もらえるものだ。
 あたしはすでに夕方からのあの場所で、この筍をどうしようかワクワクしていた。


 夕方、昨日仕込んでおいたカレーの鍋をお玉でかき回した。部屋中にスパイスの香りが漂う。
「わぁ、すっげーカレーの匂い」
 嬉しそうな声と共に扉を開けたのは大地だ。その後ろにも誰かいた。
「いらっしゃい。初めての子だね?」
「あ、あの……」
 遠慮がちに扉の向こうから覗き込んでいるのは、大地と同じ年頃の男子小学生だ。先に入った大地がその少年の手を引っ張る。
「大丈夫だって、明良も見た目はちょっと怖い姉ちゃんだけど、取って食わねーからさ」
「誰が怖い姉ちゃんだ」
 少年の方を向いて手招きした。恐くないようにニコリと笑いも添える。
 あたしはカウンターの上に水のコップを二個並べた。奥に大地が座ってその少年を自分の横に座らせる。
「こいつさー、昨日何にも食べてねーんだって。カレー好きらしいし、連れてきた」
「そうなんだ。じゃあ、いっぱい食べてってね」
「うわ、明良が優しい。逆に怖い」
「大地は食べなくてよろしい」
 あたしはカレー皿に炊いた白米を盛ると、ルーをその上にたっぷりかけた。少年と、ついでに大地の前に置く。
「うまそー! いただきまーす!!」
 大地はすぐさまスプーンに大盛すくって口に運んでいるが、少年はスプーンを握りしめたまま動かない。
「どうした? 遠慮せずに食べなよ」
 あたしが声をかけると、彼は顔を上げて戸惑いの表情を見せた。
「だっ、だって、お金……お金持ってないので」
「あー、大丈夫大丈夫」
 何故かあたしじゃなくて、大地が答える。
「ここさ、満足したら自分が思う分だけお金をあの貯金箱に入れるって仕組み。別に入れなくても明良は何も言わない」
「そうそう、遠慮せずに食べなよ。ここはお店じゃないからさ」
 その言葉に彼は遠慮がちに皿のカレーをすくった。そっと口に運ぶと、その顔は明るくなる。
「……美味しい」
「よかった。足りなかったらおかわりもあるからねー」
「まじで! じゃあ、俺おかわり!」
「大地は早すぎ。ちゃんと噛んで食べろ」
「カレーは飲み物です」
「違う」
 弾むあたしと大地の会話に、少年はカレーを口に運び、ふふふと笑いを零した。ついでに涙も。
「す、すみません。こんな明るい食事、初めてだから……」
 あたしは突然のそれに固まったが、大地は意に止めず彼の背中を軽く叩いた。
「なんだ、そんなに気に入ったのか? じゃあ明日も来いよ! 明日何?」
「そ、そうだなー、今日筍もらったから、炊き込みご飯かな」
「お、いーじゃん。拓斗、明日も一緒に来ようぜ!」
「うん、邪魔じゃなかったら、来たいです」
「いつでもおいでよ。大地なんか毎日来てんだよ。後は――」
 その時、扉が開く。顔をのぞかせたのは、恒春だった。
「あのおじさんも、毎日いるぜ」
「なんだいきなりおじさん呼ばわりとは」
「二十歳過ぎたらおじさんだろ」
 恒春は少年――拓斗くんの横に座る。
「よぅ、坊主。カレー旨いか」
「あっ、はい。美味しいです」
「良かったな、明良。じゃあ、俺大盛な」
 はいはいと返事して、皿に盛ったカレーを恒春の前に置いた。
 三人三様に、それでも全員が美味しそうにカレーを頬張る姿を見ていると、あたしは笑えてきた。
「何笑ってんだよ」
「だってさー、こうも自分の料理で人が喜んでるところ見ないからさ。なんか嬉しくてさ」
「心配すんなよ。明良の料理はうめーよ。な、拓斗」
「あっ、はい。美味しいです」
「ならよかった」
 あたしはニコリと笑い自分の皿にカレーを盛り始めた。


三人が帰った後、商店街の店主たちが顔を出した。今日は定期の会合なのだ。
「……ちょっと、もうみんな出来上がってんじゃん」
「おー、明良ちゃん! 今日何だったの」
「カレーです」
 鍋を傾けて見せると、酒のせいで顔を赤らめたおじさんたちが色めき立つ。
「わぁ、いい匂いだ」
「おれにもくれ」
 わらわらとカウンターに集まってくるので、あたしはお皿に白米とカレーを注いで、みんなに回した。全員がカレーを手にして席に着く頃に、精肉店の店主である内田さんが話しかけてくる。
「明良ちゃん、知ってるか。変な奴らが訪ねてくるって」
「変な、奴ですか? いやぁ、来てないですけど」
「そうか、黒ずくめのスーツ姿でな。あちこちに店を買い取ると言ってきているらしい。結構強気に出てくるみたいだから明良ちゃんも用心しなよ」
「ありがとうございます。気を付けます」


 昨日の今日、こんな事態になるとは思っていなかったのが事実だ。
 目の前に黒づくめのスーツを着た男が立っている。表情はない。
「この店を売ってほしい」
「――あたしは店をやってるんじゃないんで」
 確かに店としての登録はしてるけど。そうしないと赤の他人に食事を出して、募金形式とはいえお金を取ることなんてできない。
 でも儲けたいとかそういうことはこれっぽっちも思ってない。
「じゃあここは何なんだ」
「あたしがもらったり安く手に入れたりした食材で思う存分料理をして、ふらりと立ち寄る人に提供する場所です」
「それを店というんだろう」
 男はカウンターに音を立てて何かを置いた。
(うわ……札束だ)
 驚いた顔をしていたのだろう、男はようやく皮肉めいた笑みを浮かべる。
「いや……でもここもあたしが持ってる建物じゃなくて、もともと閉まった店を無償で貸してもらってるだけだし」
 ちなみに貸主は裏に住んでいる独居老人なので、毎日食事を届けている。彼にもあたしの料理は好評でその代わり無償で使わせてくれているのだ。
「その貸主とやらはお前に一任すると言ってる。お前が首を縦に振ればすむことだ」
(おーい、じーさん……あたしに一任すんなよ)
 脱力しつつ、男と対峙する。
「なら尚更売るとか無理。あたしが一任されたんなら、このまま使う」
「明良ーっ……こいつ、何?」
 ちょうど大地が入ってきて、男を無遠慮に指さす。札束に目をやって顔をしかめた。男はその札束を慌てることなく手にして、貯金箱に目をやった。
「とりあえずこれは手付金だ」
 入るはずもない貯金箱の口にむりやり押し込まれた札束。あたしは慌ててそれを返そうとするが、その前に大地が噛みついた。
「なんだよ、お前。明良の料理、食べたのかよ」
「なんでだ」
「その貯金箱は、明良の料理に満足したやつが募金するところだ。お前、席にもついてなさそうだし、食べた形跡もねぇ。そんな奴がそこにお金を入れる権利なんてねーぞ」
 大地の言葉に、男は笑い出した。
「そんなのは綺麗事だ。誰だってお金は欲しいものさ。喉から手が出るほどにな」
 まぁ今日は君の言葉に甘んじて引き下がろうか。男はそう言って札束を拾い上げた。
「また来る。その時にはちゃんと考えておけ」
 男はあたしに冷たい目を向けてから、店を退いた。


 恒春は血相を変えて店に飛び込んでくる。
「おい、明良。やばいぞ、ここら辺に大きなショッピングモールを建てる計画があるらしい!」
 あたしはそれを聞いて納得がいった。あの男はこの商店街を潰してその上にショッピングモールを建てる計画のために動いているのだ。
「……ってあれ、お前驚かねーな」
「たりめーだろ、さっきこの店を売ってくれって怪しい男が来てたからな」
 大地は拓斗くんと並んで、茶碗いっぱいに盛られた炊き込みご飯を掻き込み、しゃべる。「大地くん、お米飛んでる。汚い」と拓斗くんが甲斐甲斐しく世話をしていた。
「うわ、近くじゃなくてここに来んのかよ。それは二重にやべぇな」
 恒春が頭を抱えつつ、あたしに二食分をパックに詰めてくれるよう頼んだ。
「えっ? 今日は食べてかないんだ?」
「ああ、家で食べる。花奈と作戦会議だ」
 何の作戦会議かは分からないが、恒春もここがなくなると困ると思ってくれているらしい。あたしは嬉しくなって、パックに詰めるごはんを山盛りにした。


 配達する注文を受けた肉を取りに内田精肉店に向かうと、店主の内田さんが店から出てきた。
「明良ちゃん! 本当、明良ちゃんのおかげだよ!!」
 あたしは意味が分からずに、首をかしげる。
「ほら、変な奴がうろついてるって言っただろう」
「あーうちにも昨日来ましたよ」
「何、大丈夫だったかい!?」
「まぁ、何とか……」
 それよりおかげって? と、続きを促した。
「どうも岡本屋のショッピングモールが来る計画があったらしいんだけどね、なんと会長のお孫さんが直談判して待ったをかけてくれたらしいんだ」
「……えーと、それがあたしと何の関係が?」
「ああ、お孫さんって、岡本花奈さんって言って、明良ちゃんにお世話になってるって話で……ってあれ? 知らない?」
 岡本という名字には覚えがないが、下の名前には聞き覚えがあった。
(恒春の彼女、めっちゃ金持ちじゃん……)


 夕方、店にやって来た恒春を問いただした。
「花奈ちゃんって、岡本屋の会長の孫だって?」
「あー、そうそう。昨日作戦会議したらさ、すぐにじーさんに電話してた。お前の料理が食べられなくなるのは困る! って」
「うわー本当にやってくれたんだ」
 感謝しなきゃね、と言いながら、今日のパック詰めを行う。今日はアスパラの肉巻きだ。心持ち多めに入れて感謝を詰める。
「今度、食べたいもの聞いといてよ。あたし腕を振るうからさ」
「おー伝えておく。まぁ何でも感動的な美味しさ! って言いながら食べてるけどな」
単純にそれはとても嬉しい。
「なー恒春」
「何?」
「あたしさ、この店やってて良かったよ。最初はもらったものを粗末にしたくないって自己中な考えで始めたんだけどさ、今は大地や恒春、拓斗くんに商店街の店主連合さん達、色々な人があたしのご飯を美味しいって食べてくれてる」
 あたしは笑う。
「それってこんなに幸せなことだったんだなーって、今噛みしめてる」
 恒春はあたしにそうだなと同意をくれた。

 メニューは材料がありあたしが作れるもの。開店時間は食材がなくなるまで。
 夕方からのこの店は、あたしの手が作り出す魔法のお店だ。これからもこの店であたしはこの手を使って料理を作っていく。