B06 手児奈物語


 春風は様々なものを運んでくれます。暖かさ、花びら、木々の囁き、鳥の声…。
「こんなものまで運んでくるとは思わなかったわ」
 真間君(ままきみ)は紙片を手に取りました。先程、窓から入ってきたものです。楮紙の上には
 亦道春風為我来
「またいう春風我が為に来ると。今の私の心境にぴったりの句ね。男手〈漢字〉だけど男性が書いたのかしら? 女性でも真名を書ける人はいくらでもいるから分からないわね」
真間君は“春風の送り物”を手にあれこれ想像を巡らせながら楽しむのでした。

 今でこそ、彼女のことを皆“真間君”と呼びますが、以前は“手児奈(てこな)”と呼ばれていました。彼女が生まれた東国の地では女の子のことを手児奈と呼んでいました。都から来た彼女の家の者は、その音の響きがいいと言ってこの地で生まれた彼女を手児奈と呼ぶようになりました。もちろん、本名も別にありますが、この時代の多くの中上流層の人々同様、普段はその名を呼ばれることはありませんでした。
 手児奈が十歳を過ぎた頃、一家は都に帰ってきました。家族はもちろんのこと使用人に至るまで皆、都に戻れたことを大喜びしました。しかし、彼女は東国の方が好きでした。どこまでも平野が広がる東国に比べ山に囲まれたような都は息苦しく感じたためでした。加えて、東国にいた頃は自由に家の外に出られましたが、この地ではそれも出来ません。然るべき層の女性は外出の際は必ず牛車に乗り、馬や徒歩で出歩くことは忌避されているためです。
 都に来てからの手児奈は屋敷内で一日中過ごすことになってしまいました。ただ幸いなことに都では東国に比べ、書物や絵巻が容易く手に入ります。手児奈は親兄弟の伝手を通じて和漢の様々な書物を借りてきてもらい、それらを読んだり、気に入ったものについては書き写したりして愉しみました。それに飽きると屋敷内の庭に出て花や草木を愛でたり、鳥や蝶を眺めたりしていました。
 こうして数年が経ったある日、手児奈に或る姫君の側仕えの話が来ました。彼女はこれに応じて姫君の御屋敷に移りました。
 主人となる姫君は自分と同年代の手児奈を気に入り、いつも側に侍らせました。手児奈は姫君に漢籍の講義をしたり、物語を読んで差し上げたりして日々を過ごしました。こうした生活も当初は目新しくて面白く感じましたが、やがて飽きが来ました。姫君に対しては好感を持っていましたが一日中室内に閉じこもっているのは息苦しいものでした。
 そんな折、姫君が後宮に入ることになり手児奈もついて行くことになりました。時の帝は同年代の姫君に親しみを感じ、よくお越しになりました。二人はとても気が合い、間もなく姫君は立后されました。手児奈は中宮付きの女房となり彼女の出生地にちなみ真間君と呼ばれるようになりました。この呼び名は帝がじきじきに付けて下さったものです。
 中宮付きの女房になりますと、官位を持った男性たちとの応対もしなくてはなりません。これは思いがけなく楽しく興味深いものでした。和歌の応酬に始まり、和漢の文学について語り合ったり等々、どれも新鮮に感じられました。
 こうしたなか、喜ばしいことがありました。中宮の懐妊です。初の御子となるため、帝の気遣いは大変なものでした。真間君もその他中宮を取り巻く人々も御出産に備えて万全の準備をしたのですが…。
 御子は臨月前に流れ、中宮も生命を落としてしまいました。帝の御落胆は大変なものでした。真間君は、悲しさと共に人の儚さを実感しました。あのように元気な中宮もあっさりと世を去ってしまうのですから。
 主人を亡くした真間君は宮仕えを辞め、実家に戻りました。帝は御自身付きの女房となって宮中に残って欲しいとおっしゃったのですが、鄭重に断りました。
 実家での真間君の生活は出仕前のそれに戻りました。書物や絵巻を読み、手習いをし、庭を散策し…。ただ以前と異なるのは、折につけ、かつての主人である中宮のことを思い出し、そして宮仕えの時に知り合った人々との文の遣り取りをすることでした。真間君の居所はごく親しい人以外には教えませんでした。宮中にいた時は、仕事と割り切って男性官人たちとも歌や文の遣り取りもしましたが、私的にするのは面倒に感じたためです。

 春風の“送り物”は、翌日も届きました。今度は絵画でした。桜の枝を描いたものでした。中宮のお部屋に満開の桜を壷に挿して飾りながら同僚の女房たちとはしゃいだことを懐かしく思い出しました。
 その翌日の“送り物”は古歌でした。手跡からみますと一昨日の漢詩の主と同一人物のようです。次の日は絵画でした。墨のみで山の風景が描かれています。
 三回までなら単なる偶然と言えるでしょうが、それ以上続いたのですからそうはいえません。誰かが真間君に宛てて送っているようです。送り主が分からないため返事は出来ません。真間君にとってこれは面倒が無くてありがたいことでした。
 春風のみならず風というものは毎日吹くものではありません。五日目は風が吹きませんでした。すると庭にいた真間君の元に紙が降ってきました。見上げると烏が一鳴きして去っていきました。紙には鴉の絵が描かれていました。翌日は風がありましたので、風に乗って漢詩の一節が記されていました。
 こうして毎日詩歌と絵画が交互に様々な方法~ある日は風にのって、ある日は鳥に運ばれ、ある時は木の実を包んで塀の内に投げ入れられ等々~で真間君のもとに届きました。一月、二月と続きますと真間君はこれらが来るのが楽しみになりました。
 季節が梅雨になり、朝から一日中雨が降る日がありました。このような日はさすがに来ないだろうと真間君は残念に思いました。
 ところが
「門のところにこのようなものが」
と言いながら侍女が硯箱を持ってきました。真間君が受け取って蓋を開けてみますと畳まれた紙が入っていました。広げてみますと雨に打たれる芭蕉の絵が描かれていました。真間君はこの光景を詠んでみようと筆を取りましたが止めました。自分が詠まなくても明日には適切な詩歌が来るでしょうから。
 からになった硯箱には干菓子を入れて雨が止んだら門に置くよう侍女に言いました。
 翌朝、雨は上がりよい天気でした。侍女は昨日あったところに硯箱を置きました。昼頃、侍女が門に行きますと、箱はなく代わりに短冊があり、漢詩の一節が記してありました。侍女から短冊を受け取った真間君はにっこりとしました。
 一夜不眠孤客耳、主人窓外有芭蕉
「この方も芭蕉を打つ雨の音で眠れなかったみたいね」

 季節は移り変わり、いつしか年も暮れ新年がやってきました。年明けの最大の関心事は除目でした。官職にある者はその結果に一喜一憂します。真間君の父親は筑前守に任ぜられました。真間君はさっそく同行したいといいました。都を離れれば、以前のように自由に外に出られるからです。父親は家族共々赴任するつもりでしたので、彼女の希望は難無く叶えられました。真間君は任地への出発日を指折り数えて待つのでした。


「真間君の父親が筑後守になったそうだ」
徒爾宮(とじのみや)が従者であり親友の無位君(むいのきみ)に言いました。
「真間君は父君について行くようですよ、どういたしますか? 黙って見送られるのですか」
 従者の言葉に宮は応えられません。
 今の帝の弟君とは言え、母親が端女だったため誰にも相手にされないため徒爾すなわち無用などというひどい渾名で呼ばれている宮ですが、帝はとても愛され何かにつけお側に呼ばれました。帝が亡き中宮のもとへ渡られる時もお供をしましたので真間君の姿は幾度となく目にしていました。明朗で何事もてきぱきこなす彼女はとても魅力的に思え、徒爾宮はいつしか心を惹かれるようになりました。
「任国に下ってしまったら四年間会えないんですよ。今、会わなければ絶対後悔するでしょう」
 無位君は宮に会いに行くようけしかけます。実は彼自身も真間君に好意を寄せているのです。本当はもっと積極的に真間君に近付きたいのですが、彼も父親は相応の地位の人間ですが母親が下女なので軽んじられていました。しかし聡明なため父親は他の子供たちと同じように教育を施しましたので、普通の貴族の青年同様いやそれ以上の教養の持ち主でした。徒爾宮とは同じような境遇のため親しくなりました。
「決めた。今から行こう」
 宮は真間君の元へ行き、これまでのことを全て打ち明けることにしました。無位君も従います。


 真間君は門前で徒爾宮と無位君を迎えました。
 たまたま門の近くまで出ていた彼女は、遠くからこちらに向かってくる人影を発見しました。もしかすると“送り物”の主ではないかと思った彼女は、じかに言葉を交わしたいと思い侍女姿になって出迎えることにしたのです。
「こちらの姫さまに会いたいのですが」
無位君が口を開きました。
「どのような御用件でしょう?」
真間君はこう応じながら、彼らからこれまでの経緯を聞きだしました。
―やはりこの二人が送り主だったのね。
 自分の感が当たったことに真間君は嬉しくなりました。でも、中宮さまに使えていた時、この宮さまはいつも帝の側にいたらしいのだけど真間君は全く記憶にありませんでした。
「主人に取り次ぎますので、少しお待ち下さいね」
 話を聞き終えた真間君はこう言いながら屋内に入っていきました。
 すぐに戻ってきた彼女の手には筆と紙の束がありました。
「今手が離せない状況なのでお目にかかれないと主人は申しています。代わりにこちらを…」
と言いながら、まず紙の束を徒爾宮に手渡しました。
「宮さまは絵によって幸運が得られるでしょう」
次に無位君には筆を渡し
「あなたは文字の力で出世できます」
と言いました。
「主人が申しますに、お二人とも良い“手”をお持ちです。たとえ生まれが良くなくても御自身の力で幸福な人生を歩めることでしょう」
 では私はこれで、と言いながら真間君は奥に引き込みました。
 自室に戻った真間君は箱に丁寧にしまった“送り物”を取り出して改めて一枚一枚鑑賞しました。彼女は送り主が詩歌を書く人と絵画を描く人の二人だと予想していました。そして、二人とも得意の“手”で自身の将来を切り開いて行く姿が見えたのです。
「これは筑前に持っていきましょう」
 どれも身近に置きたい作品でしたので。


「宮さま、来た甲斐がありましたね」
帰り道、無位君がこう言うと
「ああ、じかに会えた上にあのような佳き言葉や物までくれて」
と徒爾宮は嬉しげに応えました。真間君の予言めいた言葉は、その後、的中するのですが、この時の二人は彼女と話が出来たことで十分満足でした。
 二人は侍女が真間君であることを知っていました。どのような格好をしても愛しい人の顔と声はわかるのです。
「私も西海道(九州)へ下ることにしたよ」
宮が決意したようにいうと
「それが宜しいでしょう」
と無位君が応えました。
「汝もついて着てくれるか?」
「もちろん、どこまでもお供します」


 真間君父子一行が西に下った数日後、徒爾宮侍従一行も旅立ちました。
真間君に会った翌日、徒爾宮は帝に“大宰府の職を下さい”とお願いしました。これまで何一つ要求したことの無い弟が突然このようなことを言い出したので帝は驚かれましたが、可愛い弟の頼みなので聞き入れられました。
 こうして宮は都督府の最高位である大宰府帥を得て赴任することになりました。大宰府は筑前国にあります。二人は筑前の国司館に自慢の絵と文字を送るつもりです。佳き紙、佳き筆があるのですから。