C01 その手が隠したものは

「やめろ!俺を乗っ取るな!」
 平和な昼下がり。
 とある銀行の一角にそんな声が響き渡った。
 月末でも五・十日でもないのでそんなに混んでいない午後。春めいた日差しの暖かさもあってまったりとした空気であったが、それが謎の叫び声に切り裂かれた。
「ぐはぁぁぁぁっ! バカな、右手の紋章が効かないのか!」
 右手で顔を押さえた男が苦し気なうめき声をあげる。その手の甲には不思議な形の模様があり、微妙に光沢を放っていた。ぼざぼさの髪と手を顔に当てているので、その容貌はよくわからない。指の間から右目だけが見えて、その目もどこか異様な色を帯びていた。
「やめろやめろヤメロヤメロヤメロ!」
 頭を振り回して興奮したように叫ぶ男の異様さに行員も客も動けないでいた。。
 ひそひそと警察を呼ぼうか、という声も聞こえてくる。
「ヤメロ―!」
 最後に大きく叫ぶ――否、絶叫して仰け反ると、不意に動きが止まる。
 仰け反ったままの数秒が経ち、バクンと擬音が付きそうな勢いで直立に戻る。周囲の人がその背筋の強さに感心したかどうかは不明だが、次の一挙一動に視線が集中する。
「クククククク……」
 微妙に笑いづらそうな含み笑いを浮かべると、その表情が変わった、と思われる。
 未だに最初のポジションから手が動いておらず、右目だけが爛々と輝いているように見えた。
「愚かなり人間よ」
 妙に甲高い、作ったような声を上げる男。
「吾輩にここまで逆らうとは脆弱な人間にしては頑張ったものよ」
 顔に手を当てたまま、妙に大物感を出した男がカツンとかかとを鳴らしてそろえる。
 右手の隙間から見える目で行内を睥睨する。その異様な視線に恐ろしいものを見たかのように目を逸らす。
「ふむ、地上と言うのも悪くないな」
 コツコツとリノリウムの床を鳴らしながら窓口の一つに近づく。
「そこな人間の女よ」
 堂々と歩いてきた男に、思わず女性の行員がヒッと小さな悲鳴を上げて、椅子ごと後ろに下がるが、それを見て男がククッと喉の奥で笑う。
「安堵するが良い人間の女よ。この愚者のように吾輩に逆らわなければ危害を加えるつもりは無い。吾輩これでも紳士であるからな」
 自分で言ったことのどこにウケたのかは不明だが、身体を折り曲げてるようにして左手で腹を抱えて笑っているような動きを見せる。
 ちなみに右手はまだ顔を覆っているので、器用なものである。
「なに、吾輩は矮小な人間と違ってそこまで欲深くない。人間の使う『カネ』というものを吾輩に少し融通してもらえぬかな? なに『シヘイ』とやらで片手で持てるくらいで良い」
 指の隙間から見える目が妖しい輝きを放ったように見える。
「よもやあの愚かな人間のように逆らうとは言わぬよな?」

 摩訶不思議な男が銀行から立ち去り、空気が現実的な世界のものに戻ってからしばし。
「今のはなんだ?」
「お金を持っていったよな」
「あれ?」
「もしかして」
『銀行強盗!』
 遅ればせながら銀行内に非常ベルが鳴り響いた。

「顔を見ていない、と?」
 直接話をして、思わずお金を渡してしまった行員の女性が警官から事情聴取されていた。
「はい」
「見てなかったんですか?」
「それが、顔を手で覆ってまして」
「手で」
「はい。こんな感じで」
 と、行員はあの男がしていたように手で顔を隠す。右目だけが見えている。
「なるほど」
 髪の毛もボサボサだというくらいしか印象が無かったので、首からの上に関する目撃証言はあまりアテにならない。
 さらにやや猫背気味で、ほとんどまっすぐ立っていることが無かったので、身長も大まかでしか分からない。
 監視カメラの映像や音声も、犯人と言うべき男が大声を上げたところは入っているが、その時はちょうど画面のギリギリ端で、顔は映っていない。しかも小さな地方銀行であったため、画像の精度も高くなかった。声に関しても叫び声と作ったような甲高い声だ。これもあまり参考にならない。
 後はそれこそスタスタと窓口に歩き、お金を受け取って悠々と銀行を出ていった映像だ。服装にも特徴らしい特徴もなく、捜査は最初から難航しそうな予感がする。
「あと何か憶えていることはありますか?」
「そういえば」
 行員が思い出したかのように、というか、何故それを先に言わなかったのだろうか、という微妙な後悔が見てとれたような気がした。
「手の甲に何か模様が」
「模様?」
 ええと、と警官からメモを借りて、スラスラと何かしらの記号化された絵のような物を描く。
「なんかこんな感じで」
 うーん、と警官が唸る。彼は仕事一筋で特に趣味らしい趣味もなく、テレビも普通のニュースばかりで、何かしらのサブカルチャーの模様なのだろうか、とは思うが、まるで心当たりがない。
 その模様の謎は調書を取り続けている内に分かった。
 銀行の中にいた客の若い男から調書を取っている時のことだった。
「これは?」
 それに気づいた若い男がメモ紙を指さす。
「ああ、犯人の手の甲にこんな模様が描いてあったそうだ」
「なんかこの模様、アレみたいですね」
「アレ?」
「いや、僕も詳しくは知らないけど、確かアニメかゲームであったような気がします」
「アニメかゲーム、ね」
 中年の域に達したこの警官は、やはりというか、その手の趣味に興味が無かった。偏見も無いが、それが表に出れば、ニュースや週刊誌が面白おかしく騒ぎ立てるのだろう、と勝手に想像していた。
 他の客や行員に聞いても、模様のことは気づいていたが、その詳細は皆似たり寄ったりの記憶力であった。結局のところ、顔は隠れていたし他の印象も妙な喋り方と、手の甲の模様に気を取られて、特徴らしい特徴は誰も憶えておらず、すでに捜査は手づまりとなり始めていた。
 元々、奪われた金額も二百万円と比較的少額だったということもあり、その金額ではお金の動きから犯人を追う方法も難しかった。
 銀行側としても怪我人も無く、建物の破損も無く、補償もすぐ出るということで、警察の捜査に協力するよりは、早く通常通りの営業に戻りたい、という要望が出てくるくらいであった。
 そんな感じでは捜査する警官の士気も上がらず、迷宮入りになるのは時間の問題であった。

 どこで漏れたか不明だが、このメモ帳の手描きの模様がネット上に流れ、そのゲーム、もしくはアニメの特定がなされて炎上し、予想通りテレビではオタクの犯罪とばかりに囃し立てられた。特定されたのは複数のアニメやゲームだったが、評判が乱高下して、その影響もあって売り上げがそれなりに増えたらしい。それはそれで、銀行強盗自体が自作自演の宣伝という説も出てまた炎上したが、根拠が薄すぎてすぐに終焉する。
 しかし捜査が進まず、新しいネタも出てこないとなると、世間の興味は少しずつ離れていくのであった。

「ふう」
 一人の女性が掲示板に例の銀行強盗の話題を上げてみたが、あっさり流れてしまったのに安堵の息を吐く。
 もうあの事件から数か月の時が経った。
 バカバカしいし、さすがにもう一度やってもすぐ捕まることだろう。
 色々あって落ち込んでいた時期の二百万は実に助かった。それだけあれば半年は何もなくても生きていける。
 比較的背が高く、身体の凹凸にも乏しい彼女は、春先だったこともあり量販店で大きめのトレーナーを買って着てみたら、見事にラインが隠れてガックリ落ち込んだ。
 後はそれなりに長かった髪をジェルでぼさぼさにして、右手の甲に模様を描く。マニキュアのトップコートを塗って光沢も出した。左利きだったのが幸いだった。後はカラコンを入れればいい。
 最初の低い声さえうまい事出せれば、後の声は地声に近いのでそっちの方が出しやすい。
 一番気を付けたのは歩き方だ。男性と女性では下半身の骨格に違いがあるので、歩き方に差が出る。なので、しばらく歩いている人を観察して、歩き方を確認した。それも最初だけでいい。後の方は演技くさくすればいいわけで。
 多少解像度が悪くても、動画だと動きというのは思ったより分かるものだ。人の記憶は時が経てば薄れるが、記録はなかなか消える物じゃない。だからそこには気を付けた。
 どうせパワハラとセクハラで心を病みかけ、どさくさ紛れでクビになったのだ。昔患いかけた中二病を思い出すにはちょうどいいタイミングだった。
 結構穴だらけの計画だと思ったが、思い切りさえあれば思った以上に上手く行った。欲をかかずに二百万円で済ませたのも良かった。
 ふと太陽にかざした右手にはもう謎の模様は残っていない。ぼさぼさの髪の毛も美容室で整えてもらい、精神も安定したのでツヤが戻っていた。
「我ながらいい“手”だったかな?」
 銀行の中では隠されて見えなかった、女性らしい顔にニンマリと笑みが浮かんだ。