C02 月下鴨川、モノノケ踊りて、絵師が狩る。

 そのまこと奇怪なる百枚連作を「月舟シリーズ」と呼ぶ。
 江戸時代末期に活躍した妖怪絵師・月舟による「百鬼夜行」の連作である。生年不詳、幕末動乱期の江戸に突如として現れたこの天才画家は、鬼と交歓したとも噂され、実際狂人であったらしい。春の宵、都の三条大橋からポンと身を投げ、消息を絶つ。享年三十。彼の絶筆となった連作は、遺された娘が二束三文で売り飛ばしたため、今となっては行方知れず。しかし、月舟が画中に封じたモノノケは、二百年を経た今もなお、持ち主を呪い殺すと噂されるのであった――。

「詩子さん」
 カウンターで頬杖をつき、ペラリペラリと雑誌をめくる詩子さんに、俺は顔をしかめて呼びかけた。
「そんな三流雑誌、読むもんじゃありませんよ。仮にも画商がはしたない」
 画廊・夜半堂の藍染暖簾は、夏の午後でも涼しげに目を引く。カラコロと引き戸を閉めて、俺は扇風機のかかった店内に入った。大正時代に建てられたという画廊は、特異な立地のおかげか、夏でもひんやりしており、中では着物姿の詩子さんがレモネードを啜っていた。
「違いますよ、七森さん。これは世俗の研究なのです」
 おどろおどろしい見出しが躍る雑誌を閉じて、胸を張る詩子さん。
「勉強熱心で何よりです」と俺は慇懃に肯く。
「嫌味な人ですね。お仕事が板についてきましたよ」
「それは婉曲的な言い回しがですか? あいにく生まれつきです。知っているでしょう?」
 六つ年下の詩子さんと俺は、幼少の頃は家が近所で、留守がちの詩子さんのご両親に代わって俺が彼女の面倒をみていることも多かった。幼馴染というやつである。俺は丸めたスーツを椅子の背もたれにかけ、今日の「用件」が入った桐箱をテーブルに置いた。
「それは?」
「月舟シリーズ、No.44『ねこまた』とおぼしき作品です」
 空のコップのストローを回していた詩子さんが瞬きをする。
「真作ですか」
「見てみますか?」
 蓋を開けると、防虫香がぷんと香る。現れたのは、一幅の水墨画だ。月に柳、その下で踊る猫一匹。左端には月舟の落款と「ねこまた」の題。手袋をはめ、絵を眺め回す詩子さんが「ほう、ほう」と呟いた。
 とある粋狂な資産家の出資で設立された民間の美術研究所「烏丸ファシリティ」に勤める俺のもとには、このような「いわくつきの美術品」がさまざまやってくる。詩子さんはある理由から、月舟シリーズに限り鑑定協力をしていた。
「紙や染料を調べたところ、制作時期が江戸時代末期なのは間違いないそうですよ」
「そちらの見解は?」
「グレーです。貴女は?」
「まあ、いつものとおり猫又に聞くしかないんじゃあありませんか」
 詩子さんは至極真面目な顔つきで言って、手袋を外した。
「時に七森さん。その袋の中身はなんですか」
 ジッ、と椅子に置いた紙袋を見つめる詩子さんは、いつになく真剣だ。
「水羊羹ですよ。鍵善の」
「お茶にしましょう。仕事は?」
「うちは裁量労働制ですから」
「では、ほうじ茶でも飲んで、猫又を待ちましょう」
 詩子さんは戸口に織部の香炉を置いた。嗅ぎ慣れない香りがくゆる。あまりよいにおいには思えなかったが、「お招き」には欠かせない香である。
 上げ框から店の奥の居間に上がって、俺は湯を沸かす詩子さんを待つ。父の死をきっかけに、俺が生家を引き払い、数年。高校を卒業した詩子さんは、病気がちのおじさんから夜半堂を継いだ。俺は大学を中退したのち、烏丸ファシリティの出資者に拾われて三年が経つ。
 詩子さんも俺も、呪われた絵師の家系の出である。
 幼馴染であり、敵対者であり、理解者である。この複雑怪奇な関係を何とたとえたらよいのか、俺にはわからない。とりあえず幼馴染と呼ぶのが明快だと思うのでそうしている。
 縁側に出て仕事用のメールをチェックしていると、軒下にかかった南部鉄器の風鈴がリーンと音を立てた。タブレットを置いて夕焼けの空を仰ぎ、俺は隣の部屋に立てかけられていた絵に目を留める。それは、花の下の幽霊画であった。
「描いたんですか」
 二人ぶんのお茶を持って戻ってきた詩子さんに尋ねる。うん、描きました、と詩子さんは少しだけ緊張した面持ちで俺を見る。詩子さんは画商を継いだが、本分は絵師である。曾祖父、祖父、父から継いだ技と狂いで、絵を描く。詩子さんは狂人の家系なのである。
「いいんじゃないですか」
 暗に感想を求めた彼女に、俺は投げやりに言って居間に戻った。
「適当に言わないでください」
「好きですよ、わりと。この花はオオシマザクラですか」
「ええ。春に連れていってもらった安積疎水のあたりの」
 詩子さんがお盆をちゃぶ台に置く。つるんとした水羊羹がガラス器に乗っている。氷で冷ましたほうじ茶がうまかった。
「おとうさんはお元気ですか」
「さあ……近頃私の顔もわからないようです。そのうち鴨川に身投げするかもしれませんね」
 冗談のような、冗談でないことを詩子さんは言った。大真面目な顔をしたまま、もぐもぐと口いっぱいに水羊羹を頬張る。うん、こののど越しがいいんです、と顔を緩める詩子さんに、今しがたの暗がりはなく、年相応の少女に見える。
「No.44『ねこまた』、目録にありましたよ」
「月舟画伯の晩年の作のようですね」
 売り払われたせいで散り散りとなった月舟シリーズが百枚の連作だとわかっているのは、月舟が生前残した目録が親族のもとにあったためである。詩子さんは月舟画伯の曾孫にあたり、彼の目録を夜半堂とともに父から継いだ。烏丸ファシリティの書庫にも複写した資料が保存されていて、ここに来る前に俺も確認をしていた。
「猫又ってどんなお化けか、七森さんは知ってます?」
「尻尾が分かれているんでしたっけ」
「尾が二又だから、猫又。猫は死者を蘇らせるとか、殺すと七代まで祟るとか、さまざま伝説があるんですよ。鳥山石燕の猫の絵が有名ですね」
「ああ、手拭いをかぶった猫の」
 瞼裏に浮かんだ絵があったので、俺は肯いた。
 妖怪画というと、現代では水木しげる氏がポピュラーだが、その水木が参考にしたといわれる絵師が江戸後期の浮世絵師、鳥山石燕である。月舟は時代を下り、幕末の京都で活躍した絵師だ。「百鬼夜行図」以外は十数点の妖怪画しか残しておらず、知名度は低い。また、月舟の弟子であった男が百鬼夜行図の贋作百枚をほぼ同時期に描いており、この二つは大変似通っているため、真贋を見分けるのは困難を極めた。何とも紛らわしいことをしてくれたものである。
 一説には、月舟を鴨川にポンと突き落としたのは、この弟子であったともいう。確かに、贋作「百鬼夜行図」からは月舟に対する並々ならない崇敬と執着が感じられた。
「猫又はまだのようですね」
 夜半堂を覗いた詩子さんが顎に指をあてて呟いた。
 猫又は来ないが、縁側に野良猫はやってきた。この家に足を運ぶたび、俺が出汁取り用の煮干しをやるせいで、いつの間にか寄りついてしまった三毛猫である。猫の首をゴロゴロ撫でていると、七森さん、と詩子さんが言った。
「もう、絵は描かないんですか」
 詩子さんはめざとい。
 花下幽霊画を眺めていたときの俺の顔に気付いたに違いなかった。
「私は七森さんの絵が好きでしたよ」
「有難う。だけど俺は嫌いです。二度と見たくない」
 詩子さんは微かに眉を下げて、悲しそうにした。そんな表情をするのはやめてほしい。胃に悪い。「お茶のお代わりをもらえますか」とグラスを差し出す。そのとき、擦りガラス越しに見えた夜半堂の暗がりで、猫が踊った。
 月下鴨川、柳たなびき、猫踊る。
 ――月舟。
「いらっしゃいましたよ」
 俺の呼びかけに、詩子さんが感心した様子で「ほう、ほう」と肯いた。
「No.44『ねこまた』、真作でしたか」
 口元を懐紙で拭うと、詩子さんは夏用の薄物の袖をおはしょりでたくし上げた。隣のアトリエから、顔料と絵筆を持ってくる。
 いわく、妖怪絵師・月舟の遺した百枚連作「百鬼夜行」にはモノノケが棲んでいると。
 それは、真である。鬼と交歓した月舟は、己の画中に鬼が従えたモノノケたちを閉じ込めた。二百年経った今も彼らは画中から出ること叶わず、持ち主を誑かすことを己の存在意義としている。詩子さんはこれらのモノノケを解き放ち、在るべき異界へと返す。絵師の技とともに、祖父、父から継いだ技であるという。詩子さんが月舟シリーズに限り、鑑定協力をするのはこのような訳だ。
「七森さん。私が準備をする間に、北の戸を開いてください」
「早めにお願いしますよ。俺は常人なのですから」
 詩子さんと違って、俺にモノノケをどうこうする術はなく、あるのは見鬼の才くらいである。紙の上で踊るは猫又一匹。尾は二本で、体毛は金茶、赤い火の玉が周りで燃えている。詩子さんが焚いた香に呼び寄せられて、画中から姿を現したようだ。
「体毛は金茶、目は金、炎は緋色……訂正、猩々緋。そんなところです」
 テンテケ、テンテケ、と踊る猫又の後ろをそっと通って、俺は夜半堂の戸の内鍵を閉め、北向きの壁にかかる掛け軸を外した。夜半堂は、モノノケの通り道である霊道に接した場所に立てられており、画中から抜け出したモノノケたちは皆、そちらにお引き取り願っている。そんな特異な立地にあるため、この場所は夏の盛りでも涼しい。
「どうです?」
「もう少し」
 俺の指定のとおり、絵皿で顔料を調合した詩子さんは、絵筆を画中に走らせた。水墨画に一点の赤が咲く。すると、火の玉がぱっと色付いた。さらに金茶で毛をふちどれば、またモノノケが姿を変える。ナーオ! ハキとした鳴き声が俺にも聞こえた。詩子さんが筆を走らせるごとに、幽かだった猫又は火の息を吐き、実体を持ち始める。
「訂正、毛は金茶にややグレー」
「的確な表現を。慎ましさと優柔不断は紙一重ですよ」
「……利休白茶。おそらく」
 涼しい顔でモノノケを観察する俺とは対照的に、筆を握る詩子さんの額には玉の汗が浮かびだす。乱れすさぶ筆致。なるほど、詩子さんは筆を通してモノノケと対峙している。色を掛け合わす筆の乱舞と、次第に荒ぶるモノノケの踊りと。顎を伝う汗を手の甲で拭い、詩子さんは赤の顔料を含ませた筆を、デデン、と画の中央に置いた。画竜点睛。詩子さんは筆を離す。
「お願いします、七森さん」
 ナーオ! 鳴き声とともに火の玉が吹き上がったので、夜半堂が火事になる前に、俺は猫又に圧力鍋をかぶせた。神具でも何でもない、これはただの圧力鍋である。この家で一番、頑丈そうな圧力鍋である。
 詩子さんは先祖から継いだ技で、モノノケにひととき実体を与えることができる。実体を持ったモノノケは、こちらの世界のルールに則るので、俺のような只人でも、圧力鍋に蓋をして、霊道にポイと落とすだけで、「憑き物落とし」とやらができるのだった。テンテケ、テンテケ。とはいえ、モノノケは毒気をばらまく。
 ――描けないんだよ。
 圧力鍋から溢れてくるのは、一点の記憶である。
 俺の記憶である。
 ジィジィ蝉が鳴き立てる中で、室内に何枚も絵が重なり合っている。星響賞用の習作だった。何枚も何枚も何枚も……。絵の具は混ざりあい、淀み、最後に黒色の粘ついただけの液体になる。床にうずくまる俺の耳元で、「贋作師」の影が囁いた。
 ――おまえに絵なんて、描けないんだよ。
 ――一生、描けやしないんだよ。
 俺は息を吐くと、圧力鍋の蓋を開け、ポンと霊道にモノノケを落とした。霊道は、たとえるなら金色の河だ。テンテケ、テンテケ。俺を唆すことに飽きたらしい猫又は、ナーオ!と自由の身となったことを少し感謝するように鳴いて、二本の尻尾を翻した。
 あとには、彩色のほどこされた妖怪画と、俺と詩子さんだけが残る。
「大丈夫ですか」
 掛け軸を戻して霊道を塞いでしまうと、俺は肩で息をしている詩子さんの前にかがんだ。「ええ、大丈夫です」と詩子さんはこっくりと肯く。
「また派手にやってしまった……。怒られますか、七森さん」
「いつものことですし、何とでもしますよ。幸い理解はある上司ですし」
 詩子さんが憑き物落としをしたあとの月舟シリーズは、一通りの調査をしたのち、烏丸ファシリティの保管室にしまわれる。月舟が描き、詩子さんが彩色した妖怪画を俺はそっと持ち上げた。美しい。俺は眉を開いた。
 俺の曽祖父は贋作師だった。月舟の弟子であり、百枚連作「百鬼夜行」の贋作百枚を手掛けた稀代の贋作師。月舟の才に嫉妬するあまり、やがて鴨川にポンと突き落としたともいわれる人殺しである。
 詩子さんが狂いの絵師の血を引くように、俺の祖父も父も、贋作の呪いに苦しめられた。祖父は優秀な贋作師だった。父もまた贋作師であったが、こちらは才がなく、そのせいで病で早くに死んだ。俺は彼らのようにはなるまいと誓って美大に進んだものの、そのうちにやはり同じ呪いに苦しむことになった。
 俺の描くものが、まがいものでないと本当に言えるのだろうか。
 誰ぞやのオリジナルの投影に過ぎないと、言い切れるのか。描き続ける中で見失った俺は美大を中退し、最底辺の生活をしていたところを烏丸ファシリティに拾われた。あれから、絵は描いていない。
「俺は帰ります。戸締まりとお清めを忘れずに」
「はい。あなたもお気をつけて」
 詩子さんは下駄をつっかけて、引き戸を開ける俺を追った。その頬には赤の顔料がくっついている。苦笑し、俺は詩子さんの頬を指で拭った。
「疲れたでしょう。おやすみなさい、詩子さん」
「次は、下鴨さんのところのみたらし団子を持ってきてくださいね。おやすみなさい、七森さん」
 曾祖父から呪いと因縁を継いだ詩子さんと俺は、よき理解者であり、オリジナルと贋作、その一点においてのみ敵対者でもある。この感情と関係をどんな言葉を用いてたとえたらよいか、俺にはわからない。わからないので、とりあえずは幼馴染ということにしている。同僚に言わせると、そんな根の深い幼馴染などいないというが。
「ねえ、七森さん」
 詩子さんは玄関灯をつけた門前まで、俺を見送ってくれた。
「私はあなたがまた、絵を描く日を待っていますよ」
「……来ないですよ、そんなものは」
「いいえ、あなたの手は絵師の手です。私にはわかる。やさしくて嘘吐きな七森さん」
 花群れめいて微笑み、詩子さんはカラランと引き戸を閉めた。
 京都の夜は闇が濃い。上司に連絡を入れた俺は、風呂敷に包んだ桐箱を抱え直して、橋上から空を仰いだ。先ほど見た詩子さんの花の下の幽霊図が、束の間俺の瞼裏に鮮やかによぎって消えた。もしかしたら二百年昔、名無しの贋作師も、月舟の描く夜行図にかくのごとく魅せられ、鬼と化したのだろうか。
 答えは叢雲、今は鴨川の上に架かる月のみぞ知る。