C10 奇病と難病

※はじめに
 この作品はフィクションです。以下にでてくる病名・病気の定義・内容等全て架空のものであり、現実のものは1ミリもありません。
 あしからず










 誰かの何気ない言葉は、誰かにとっては重くて痛いものだ。
『難しい病気っていっても、すぐどーこーするわけじゃないんだろ?じゃあいいじゃん。奇病よりマシだろ?』
 一体全体何がいいのか、ボクにはわからない。
 確かに死ぬまで病院生活ではない。しかしずっと車椅子生活を余儀なくされるのだ。病気の重さなど他人が測れるものではないと義務教育で徹底すべきだ。
 コの字に曲がっているイチョウに「お前はいつまでたっても折れないな」と恨みがましく独り言つ。ひと月前17歳を迎えた夕暮れより虚しい気がした。
「奇病か」
 LOSEと表示された画面をスライドして、困った時の先生に切り替える。

【難病】
 治りにくい病気。治療を続けていけば、すぐに命に関わるわけではない。
【奇病】
 治らない病気。原因不明は難病も同じだが、何が起こるかわからない点において、非常に危険な病気はこちらに分類される。

 いくつかのページをめくりざっくりまとめると、10%の確率で完治するのが難病で、0.0000000000000000001の確率でしか完治できないのが奇病なのかもしれない。多分だが。それでもどちらがマシかなど比べるものではないのだろう。調べてしまったのは魔が差しただけだと思いたい。
 五体満足が1番だ。自分より劣るものを見つけて何が嬉しいというのだ。
 再び画面を戻し、continueを押す。
 この病気は嫌いだが、今この時代に生まれてきたのは良かったと思う。暇潰しが多い。
 電子の世界は、盲目——いや、目隠しの世界だ。年齢を誤魔化して親の脛をかじっているニートとプロフィールに書いておけば「自分も」と集まってくる同族のグループができる。
 同じではないが、同じと偽る。
 誰もがやっていることだ。これのおかげで深夜問わずたわいない話ができるのだ。
 もしスマホのない時代に生まれてきたら、ただ最後まで庭先を眺めるだけの人生だっただろう。
「あ、彼がいる」
 今最近ハマっているRPGゲームである人とよく話すようになっていた。その人は俺と同じで入院生活がずっと続いているらしい。誰にでも気さくで、悪態も称賛もなんでもないことのように受け流すのだ。
 彼は目隠しの世界でも、布が透けているのか感が鋭い。文字の空気でも読んでいるようだ。一見普通の文章に見えるのに、その人が落ち込んでいるのか喜んでいるのか、本当の感情がわかってしまうのだ。
 だからなのかボクの嘘もばれていた。
 今年の春頃、ボクだけに届くDMに入院していること、未成年であることを裏付ける過去の会話文が届いたのだ。時間があるということはそれだけ観察力が鋭くなるのかもしれない。
 ボクも近しい人物の浮き沈みならわかるが、読めるといってもぶち壊すことしかできない。毎日ゲームと治療だけの世界はその他の刺激には過敏になるが、会話や気持ちの整理はどうにもならないものだった。
 ふと、彼からメッセが届いた。内容に固まってしまった。
『間違っていたら、申し訳ないんだけどもしかしてK病院に入院してる?』
 なぜわかったのだろうか。
 その後に続く理由には、ボクが難病患者であるとバレて以来、何気ない会話の中で、病院近くの火事の出来事、嫌いな医者の特徴、似ている共通点を示した。
『もっともこれだけじゃ弱かったけど、決定的だったのはイチョウの木かな。1番しなっているイチョウは俺からも見えるから』
 迂闊だった。いや、迂闊ではないか。今は会話の端々から個人が特定できるのに容易になってきているのだ。彼は悪用するような人ではない。別に問題はないはずだ。おそらくこの病院にいる難病患者の一人ということは顔見知りの可能性があるからだ。
 なぜか急にがっかりしてしまった。
 ゲームの中では自分自身も目隠しされている。だから語れる。しかしひとたび現実で会うとなると、さらけ出さねばならない。本当の自分を。
 好きではないのだ。こんな体を持つ自分が。
 難病患者でも両親に甘やかされる他人を見るのがたまらなく妬ましい。逆に自分と同じように見舞いが数ヶ月に一度の肩を落としている人に安心してしまうのも嫌だった。
——どうしようか。
 このまま返事を出さずにスルーしてしまおうか考えていると、図ったように次のメッセが届いた。
『突然ごめんね。ただ近くにいるなら直接話しをしてみたくて。なんせ奇病だからここ数年、医者と看護師以外の人と話したことがなくてね』
 書かれた文章に頭が追いつかない。この人は何を書いたのか?奇病?そんなばかな。こんな、こんなあっさり暴露していいものなのか。僕が軽口だったらどうする?一気にゲームの連中のネタにされるぞ。相手に自分を認識された時点で病気持ちは笑われるんだ。
『あぁ、大丈夫。僕の奇病は感染しないから。病棟は6号館だけどね』
 6号館は奇病患者専用の棟だ。階数は隔離されていないエリアだがそれでも行くのには躊躇する。
 確か看護師さん達が会話しているのを耳にしたことがある。ここに奇病患者が一人いることを、でもそれが彼だなんて思いもしなかった。
 ゲームでは普通だったから。
 違う、普通の人なのに色眼鏡をかけはじめたのはボクの方だ。急に恥ずかしくなる。
 醜くなるのが嫌なんだ。あいつらと同じになるのが嫌なのに。
 見慣れた車輪を引っ張る。
 自分を正当化したいボクがいる。元々人間は醜いのだ。醜いのが醜くなったて、それはどんなに醜くても一言で『醜い』とくくられる。
 ボクはどんな顔をして彼に会えばいいのか。
 同情?好奇心?畏怖?引け目?どれも違う。
 気づいたら、彼がいる病棟に着いていた。
 途中で誰かに止められることはなかった。静かだった。車椅子とキャスターの音だけが響いていた。
 難病に比べ、奇病の発症率は100000分の1だ。この大きな総合病院でも彼しかいない。見取り図を見るとこの階にはナースステーションは存在しなかった。奇病専属の看護師と医者はいるのに、それも別の棟にいるようだ。
 隔離されていないのに、隔離されている。
 怖いものなのだろうか?
 日々日々進歩していく医療をあざ笑うかのように奇病は存在する。まるで解明できないものがこの世にあるという証明のようだ。
——ここだ。
 メッセにあった病室に辿り着いてしまった。
 表札は番号だけだった。
「あいているから入っていいよ」
 ドア越しから声がして肩が驚く。いや、車椅子の音で自分が来たことがわかっただけだ。エスパーじゃない。
 ——本当に彼なんだ。
 恐る恐るドアを少し開ける。
 真っ白い部屋の奥、二重のカーテンの向こうに彼らしき影があった。
「こんにちは。怖いならそこからでもいいんだよ」
 見透かされていた。でも、どうってことないように話すのだ。それが当たり前のように。
 当たり前、じゃないのにっ。
 ボクは大きく響くように開けて、部屋の中に体をねじ込んだ。
 そんなボクに「ふふっ」と彼は笑った。
「はじめまして」
「……はじめまして」
「突然ごめんね。ありがとう。同じ病院にいるとわかったら、なんか無性に会いたくなってね」
「そう」
「話もなんだし、ゲームしない?テレビゲーム」
 話す言葉が見つからないし、カーテン越しとはいえ、彼を直視できないので床のデザインを凝視していたのだが、テレビゲームをしたことがなくて、つい顔を挙げてしまった。
 テレビはスマホと違って、ONにすると自動で外の情報が流れてくる。羨ましくなるから自分の病室のは撤去してもらっていた。
「そこに新品のコントローラがあるから使っていいよ。もちろん消毒済みだ」
 影が指し示すところに目を向けると、オモチャ箱らしきものがあった。埃かぶった新品の箱ばかり並んである。ペアのものはどれも片方残されたままだ。
「さぁ、やろう。俺の一番のオススメは……」
 嬉しそうに彼は語ってくる。テレビゲームは正直わからないので助かるし、会話もゲームばかりで話しやすい。
 カーテンの奥でゲームをセットする音が楽しそうな音で、肩の力が抜けた気がした。

 彼とのゲームは楽しかった。
 彼は大柄な割に器用にコントローラを動かしていて、どのゲームも強かった。ボクは最初慣れなかったがゲーマー魂に火がついて、段々スコアを伸ばしていく。
 久々に声を上げてゲームに没頭した。憧れていたのかもしれない。現実で隣に人がいて「なに今のっ。卑怯だぞ」「ごめんごめん。これはこうやるんだ」「次このゲームしよう」「恋愛ゲームとかもあるの?」「だからそっちじゃなくて……」ずっと前から友達だったような時間だった。
 けれどカーテン越しの奇妙な関係は長くは続かない。
 彼がコントローラを落としてしまったのだ。
 びっくりして画面から視線を横に動かした。ずっと横影を見ていたから気づかなかった。ボクの方に正面を向けた影が右肩あたりから大きなコブみたいに明らかにパースが違うことに。
「ヒッ」
 失礼なことにボクは悲鳴を上げてしまった。すぐに口を塞ぐが一度発せられた言葉はどんなに短くても取り消せない。
「あ、気づいた?少々右腕が奇形しているんだ。今はポンチョみたいなのを羽織っているから君からだと相当ふっくらした感じに見えるけどね」
 身体の形が何かに変わっていく病。
 そう彼は教えてくれた。
 治る病気ではないのは理解していた。けれど足の神経がイかれていくボクの難病と違い、『人の形でなくなるかもしれない』そんな病があるなんて…いや、奇形といっても少し変なだけで、そう変わらないのではないか。
「見たい?」
「え」
 カーテンが揺れて一瞬だけ彼がボクを覗いた。左手は普通の手だった。
「もうすぐ夕食の時間だ。看護師さんがきてしまうからその後かな。一般病棟が消灯になったら外出できる。ここの屋上、ネットで天井まで囲まれているだろ?庭園になっていてね。奇病患者の憩いの場になっているんだ」
 その時見せてあげるよ。「外の空気を吸える唯一の時間」奇病患者は人目に触れてはならないというのだ。彼も人間であるというのに。
 人と向き合うことを避けてきたから、とっさに何を言えばいいのかすら出てこない。
 始終彼のペースだ。
「また後でね」
 そう影が手をふるのに頷いてカラになった点滴を引きずりながら病室を後にした。

 自分の病室に戻っても夕食の五分粥を食べても、ずっとあの楽しかった時間が夢のように感じた。
 楽しかったのに、嬉しくない。
 ずっと彼は戸惑っているボクに気遣っていた。
 でもボクはただゲームに集中するのが精一杯だったのだ。
 ——消灯時間が早くきてほしかった。

「先に君に謝るよ」
「え」
 消灯時間になって最速で彼のもとへいったボクは、病室の前にいる彼を見つけた。ボクより2倍以上は年が離れているようだ。大きなコートを着て笑顔でボクを手招きする。奥のエレベーターで一気に屋上の庭に到着した第一声がそれだった。
「実は近くにいる患者を片っ端から調べていたんだ。そして君を見つけた」
 どうやって調べたかは企業秘密だけどね。にっこりと笑う彼の顔に皺を見つけた。
 いやそうじゃなくて、はじめから知っていたというのだ。ボクを。
「どうして……」
「ある目的があったんだ。けれど君のこと何にも知らないから知りたくてね。たまたま同じゲームをプレイしていることがわかって君を見ていたんだ。俺と話をしてくれるかってね」
 なんだそれ。さっぱりわからない。
「これは俺の考えなのだけど、人間ってすぐに比較したがるじゃないか。同じ部分を知ると安心するけれど、違いも探すんだ。矛盾しているだろ?」
「……」
「集団の中は安心するけれど、集団の中で違うと孤独になるんだ。孤独は集団行動を主としている動物の中では死を意味する。だから同じであろうとする。集団心理は動物の本能としては正しいのだろうね」
 ただ、ね。
「同族で更に比較するのも嫌悪するのも人間だけなんだよ。君は自分の病気と俺の病気、比較したかっただろう?」
 彼はそう言って分厚いコートを脱いだ。
 ずっと気になっていた右半身。今では月光で良かったと思う。太陽の下だったら悲鳴どころではないだろう。
 それほどまでに目に映る右半身は右半身じゃなかった。
「俺はこの病を『退行』と呼んでいる」
 骨が肋骨や手首からいくつも飛び出し猿のような苔のような体毛が生えて、肉が生々しく顕になっている。心なしか骨が呼吸しているように白い息が見える。あの手でコントローラを握っていたのが信じられない。
 ボクはエレベーターまで無意識に後ずさりした。
 それを見て人の顔をした彼が柔らかく微笑んだ。
「違うって怖いだろ?」
「っ」
 彼はボクを窘めたかったのだろうか。図星を次々と当てられ自分が震えているのに気づく。
「この病は人から動物に戻るだけのことだと思う。比較もしない、悲しむのも楽しむのもない、生き残る、ただそれだけの動物の世界に戻るだけ」
だから、ね
「別に怖くはないんだ。後2、3年で俺は動けなくなるだろう。この病が全身に広がる前にただ、誰かと隣でゲームをしたかったんだ。1度くらい。それが未練というか俺個人のわがままだったんだ」
 たった数時間のあの楽しいひと時を過ごしたいがためにボクを巻き込んだ。
「うつらないとわかっていても、視覚効果で恐怖は倍増だろ?看護師さんや医者だって防護服で入ってくるんだ。君だけだ。素できて俺とこうやって会話をしているのは。初めてなんだ」
 だから、騙してごめんね。
 一生に一度のわがまま。彼は卑怯者だった。普段は皆、防護服で彼に会うのに、ボクはそんなこと知らずにノコノコ興味本位できてしまった。最低な行動だ。彼はボクに会うためにボクを知ろうとした。ボクは彼のことを何も調べようとしなかった。
 気づきもしなかった。なんで奇病の病棟は各階にナースステーションがないのか、数時間おきの見回りもないのか、一般病棟が消灯になってからの自由行動に付き添いがないのか。
 関わり合いたくないからだ。
 奇病患者と。
 ボクもみんなも、臆病者だ。動物じゃないのに誰も手を伸ばそうとしない。
 声なんかでない。でも手は動いた。
 失った動物の本能でも勇気はカケラだけあるって今は信じたい。
 タイヤを勢いよく回して、彼にめがけて突き進む。
 目を丸くしている彼のすんでで止まり、右腕の名残を強く撫でた。
「死がっ」
 怖くないなんて、いうなよっ
 これ以上は無理だった。
 勢いよくバックする。
 思いっきりエレベーターのドアを閉め中へ逃げ込んだ。
 彼がなんと叫んだのか、聞こえないように耳を塞いだ。

 それが最初で最後の彼との出会いだった。

 数年経たずに、ボクは他の病院へ移りそのまた数十年後には特効薬のお陰で、杖をつきながらだが歩けるまでに回復した。
 あの病院にもう奇病患者はいない。
 彼は悲しむことも楽しむこともない、食物連鎖の輪の中へ戻ったのだろうか?
 あの時触れた、砂のような感触はずっと残ったままだった――。