C11 トゥルーエンド

 丁寧に髪を梳き、紅を引き。勾玉や金、玉の装飾で、重く煌めく衣を纏い。準備は全て、整った。
日の出と共に私は、国を永久に守る神となるため、神聖なる滝に身を投げる。
お付きの者は皆郷へ帰した。あとはこの洞窟で独り、静かにその時を待つのみ……ではなく、私には未だ、果たすべき勤めがある。
「輝陽(キヒ)様、いらっしゃいますか」
真っ直ぐに伸びる洞窟を、男が一人、私を訪ねて歩いて来た。
「蒼(ソウ)、来てしまったの」
「はい。貴方を止めに」
青く長い髪、涼やかな瞳。腰には、私が呪い(まじない)を授けた剣が携えられている。
「今からでも儀式をお辞め下さい。貴方が命を投げ打つ必要はありません。私が鍛えた軍は強い。鬼王(キオウ)が侵略して来たとしても、必ずや打ち果たしてみせます」
「心強い言葉をありがとうございます。私亡き後も、どうか此の国を守って下さい」
「俺は!」
力強い腕が私を引き寄せる。
「貴方のいる国だから護りたいんだ! 貴方を護ることが出来るなら、この命だって惜しくない!」
--私には、選択肢が二つある。一つはこの力強い腕に身を任せ、二人で洞窟をあとにすること。彼は軍人として国を護り、私は妻としてそれを支える。そんな未来(エンド)も、私には用意されている。
けれど此の私は、その道(ルート)は選ばない。
彼の顔を引き寄せ、深く口付けた。彼の目が、驚きに大きく見開かれる。やがて、彼は気がつく。何かが、彼の中に流れ込んでいったこと。
「……何を」
「私を護るためなら命とて惜しくはないと。偽りではありませんね」
両手で彼の手を強く握る。涼やかな彼の雰囲気とは対照的に、ごつごつと硬い武人の手。此の国を護ってきた手。私亡き後、此の国を護ってくれる手。
「三年後。東の国境に鬼の国の大軍が押し寄せます。我が国は敗北し、東草原の一部を失います」
「私がさせません」
「いいえ、奪われてしまうのです。必ず。だからこそ、私の御霊の一部を、貴方に授けた」
彼の手を離さぬまま、目を閉じる。私は今から、とても酷いことを言う。
「必ず敗けます。ですが貴方には、最後の最後まで戦って欲しいのです。その命が、尽きるまで」
「……その真意は」
「貴方が其の地で散ることで、私の御霊が土地に根付く。翌年、大雨によって川が氾濫します。洪水が、鬼の国が彼の地に築いた全てを洗い流すでしょう。そうして東草原は我が国に戻る」
恐る恐る目を開く。瑠璃の瞳が、静かに私を見つめていた。そのことに、安堵する。こんなに酷いことを言っているのに、彼は私から、目を逸らさずにいてくれる。
「私は明日、此の国の一部となります。水も、風も、大地も陽の光も、此の国の全てが私。私を護るためなら、命も惜しくないのなら。私を愛しているのなら、」
「貴方亡き国でも、護れと」
「私はいます。此の国と共に、いつまでも。だから」
--国のために散ることで、どうか私と結ばれて。
今度は、蒼が目を閉じる番だった。拳を握り、何かに耐えるように震え、そして再び眼を開いた時、瑠璃の瞳は、決意の色に染まっていた。
「その役目、必ず果たして見せましょう。此の国を、貴方を、必ずやお守り致します」
「ありがとうございます」
両手をつき、深くこうべを垂れる。彼が立ち上がる気配がした。
「……三年後、またお会いしましょう」
「はい。必ず」
彼が去っていく足音が届かなくなるまで、私はその姿勢のまま動かずにいた。

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数刻後。洞窟の外から、何やら複数人の声が聞こえてきた。やがて声は止み、一つの足音だけが、こちらにゆっくりと近づいてきた。
「輝陽」
「……黎(レイ)様」
普段は豪華な装飾に身を包んでいる彼だが、忍んでの山登りのためだろうか、今は質素な麻衣を着ている。それでも艶のある漆黒の髪と滑らかな肌、そして全身より溢れる力強さが、彼が王になるべき身分の者であることを物語っていた。
「我の言いたいことはわかるな。我と共に山を下りよ」
--私には、選択肢が二つある。一つはこの言葉に頷いて、彼と共に山を下りること。王の妻として、夫のために霊力を振るい、夫婦で力を合わせて国を護っていく。そんな未来(エンド)も、私には用意されている。
けれど此の私は、その道(ルート)は選ばない。
「お断り致します。凡庸な貴方の、凡庸な妃になどなりません」
「言ってくれる」
力強い腕が私の胸ぐらを掴む。怒りに燃える瞳が、私を射抜く。
「我は凡庸な王などにはならぬ。必ずや此の国を他国より護り、栄華をもたらす王となる。それを我が横で見届けよ。先に逝くな!」
「確かに私が貴方の物となれば、貴方は凡庸な王ではなくなる。神子に愛されし王。神と結ばれし王。その権威は、貴方を好まぬ者たちへの牽制として働くでしょう」
「我がお前を求めるのが、そのような理由と思うてか! どこまで人を愚弄すれば気がすむのだ!」
「愛のためとおっしゃるおつもりですか!」
「言うまでもなかろう!」
怒りの中に哀しみが見える。誰にも真に愛されなかった人。私だけが、孤独を分かってあげられる人。可哀想な人。
「ならば証明して下さい」
「ほう……?」
私はこの人にも、残酷なことをお願いする。
彼の手をとり、両手で包む。普段は大きな指輪で飾られているが、今はただ柔らかな手。けれど、右手中指の先だけは硬くなっている。法案に署名をする時、筆の柄が当たる場所。
「此の国を護り続けて下さい。決して、他の誰にも渡さないで」
「何を当然なことを」
「親を手にかけようとも、兄弟を、親友を、愛する者全てを失おうとも、決して誰にも渡さないで」
沈黙。彼は、私の言葉の意味を測りかねているようだった。
「私は明日、此の国の一部となります。水も、風も、大地も陽の光も、此の国の全てが私。黎様、貴方の国は、外からも内からも様々な者に狙われています。貴方が気を確かに持たねば、数年のうちに、国は他者に奪われる。そうして安定を失った此の国は、五年と待たぬうちに滅びてしまうのです」
不吉な預言。昔の彼なら怒りに震え、耳を貸さなかっただろう。けれど今の彼は違う。私の言葉を、信じてくれる。
「私は此の国を、他の誰にも渡したくない。私は、私は! 貴方以外の物になどなりたくはない!!」
洞窟全体に、私の声が響き渡る。荒く息を吐く私を、黎様は強く抱き寄せた。
「愛の証に、国を護れと」
「ええ。私を愛しているのなら、他の者に奪われるなど我慢ならないはずでしょう?」
勝気に笑ってみせる。この人はこんな強気な私を、愛してくれた。
「……神に奪われることとて、我慢ならぬが」
「神に身を捧ぐつもりなどありません。此の国そのものとなるのです。そして貴方と結ばれる」
やがて彼は、諦めたように腕の力を抜いた。
「いいだろう。天の国にてしばし待て。我が凡庸な王ではなかったと、証明してくれる」
「お側で常に見ています。貴方の命が尽きるまで」
去って行く彼の威厳ある後ろ姿を、私は見えなくなるまで見つめていた。かつて私が恐れた背中。かつて私が憧れた背中。私に、上に立つ者の覚悟と責任、哀しさと孤独を教えてくれた背中。
--私は態と、話さなかった。私の言葉で強き王であることを誓った彼は、王座を狙う者や自らに刃向かう者を次々と処刑して独裁を敷き、三十年後に暗殺される。
けれどその三十年の間に軍備は整い、隣国を滅ぼすことにも成功し、彼は此の国の栄華の土台を築くのだ。
(お慕いしています、黎王様。孤高な貴方を)
暗闇の中独り目を閉じ、彼と私、二人ぼっちの孤独に想いを馳せた。

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いつの間にか眠っていたらしい。暖かさを感じて目を覚ますと、懐かしい手が頬を撫でていた。
「アカネ……どうしてここに」
「ソウさんが教えてくれた。君は決意を変えないだろうけど、それでも会いたいなら、って」
柔らかな赤毛から、お日様の匂いがする。カサついた手から、土の匂いがする。故郷の匂い。
「モモ、帰ろう。死んじゃダメだ。神子なんてやめて、一緒に郷に帰るんだ。俺はね、キヒ様じゃなくて、モモを迎えに来たんだよ」
--私には、選択肢が二つある。一つは輝陽の名を捨て、モモとして彼と共に山を下りること。郷に帰り、アカネと子を成し、貧しくとも支え合い、幸せに生きる。そんな未来(エンド)も、私には用意されている。
けれど此の私は、その道(ルート)は選ばない。
「アカネ。狼が来るとか、大雨が降るとか。最初は誰にも信じてもらえなかったのに、アカネだけは信じてくれたね」
「当たり前だろ。お前は嘘なんかつくやつじゃない」
「変わり者扱いされてた私に、神様に選ばれてるんだ、凄い力を持ってるんだ、って、最初に言ってくれたのもアカネだったね」
自然と涙が溢れる。あの頃の日常が、アカネとモモの思い出が、私の胸を掻き乱す。
「ああ、俺は間違ってなかった。お前はすごいやつだった。鬼国が攻めてくるのを預言して、何度も国を守ったな。だけどもういいじゃないか。もう十分だ。もう十分使命は果たしたんだよ」
「私は、貴方を、郷のみんなを、護りたい……!」
伸ばされた手を、振り払う。決意が揺らいでしまいそうで、アカネの顔が見られない。
「春には種を植えて、夏は川から水を運んで、秋には収穫して! 冬は身を寄せ合って、一緒に眠る……そんな当たり前の、平凡な、幸せな日々。此の国で生きている民たちの命」
神子になった当初、民と国を守るということがどういうことか、大き過ぎて分からなかった。神子としての生活に慣れ、郷を懐かしむ余裕ができたとき、漸く分かったのだ。国を守ることは、アカネや、かつての私を守ること。民のことを考えるとき瞼に浮かぶのは、アカネと過ごした日々の暖かさだった。
「アカネ。信じてくれてありがとう。私が神子になれたのは、輝陽として此の国を護れるのは、貴方のおかげ。だからこそ私は護りたい。貴方を、貴方と同じ民達を」
「モモ、」
「私、明日此の国と一つになるの。だからずっとアカネと一緒にいるよ。水も、風も、大地も陽の光も、此の国の全てが私。だから笑って。今まで通り生きて。結婚して子も成して、幸せになって。隣にいるのが私じゃなくてもいい。アカネの幸せが私の幸せだから」
勇気を出してアカネの顔を見る。アカネは見たこともない、悲痛な顔をしていた。
「お前がいなきゃ、俺は幸せになんてなれないよ」
「なれるよ。だって私、いなくなるわけじゃないもん。いつでも側で、アカネとみんなを護り続けるもん」
--私は嘘なんかつかないよ。アカネだけは、信じてくれるでしょ。
「モモ……お前、なんか遠い人になっちゃったな……俺が守れるお前じゃ、なくなった」
「神子様ですから。凄いでしょ?」
真っ赤な目で胸なんか張っても、きっと威厳のかけらもない。それでもアカネは、初めて神子服を着た私を褒めてくれた時のように、頷いてくれた。
「お前はすごい。ほんとに、……すごいやつだ」
寂しそうに笑い、離れていく。大きく息を吐き、なんとか笑みを作って見送った。
さようなら、アカネ。そしてさようなら、モモ。

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私は知っている。私にはいくつもの道(ルート)があり、未来(エンド)がある。そして此の世界に良く似た別の世界には、今の道ではない道を選んだ私たちが、様々な幸せを手にしている。
けれど私は知っている。
蒼様と結ばれた私は預言で彼を助け、見事東草原を護ることが出来る。けれど私たちの死後、再び鬼国が攻めてきて土地を奪い、それを足掛かりとして、鬼国は我が国を攻め滅してしまう。
黎様と結ばれた私は、王家の権威と神の権威の双方を用い、国に莫大な富をもたらし、栄えさせることができる。けれど数十年後、私は鬼国と結んだ黎様の弟君に暗殺される。神の権威を失った黎様は王位を追われ、此の国は鬼国の傀儡と成り果てる。
アカネと結ばれた私は、神子としてではなく一人の女、モモとして、平凡で幸せな日々を送る。子供は二人。男の子と女の子が一人ずつ。息子は私に似て少し勝気で、娘はアカネに似て優しい。けれど数年後、此の富山が噴火する。王都は溶岩の海に沈み、国土は火山灰に覆われ、民は飢えと渇きに苦しみ死んでゆく。

別の世界に生きた私たち。幸せになった私たち。恋に惑い、取るべきでない手を取って、国を護れなかった私たち。
見ていなさい。私は護る。そして私は結ばれる。緑が溢れ、四季は美しく、交易も農耕も盛んで、人々は朗らな国。蒼様が護り黎様が治めアカネが暮らす国。私が一番愛した国(おとこ)。
意志を持って歩みを進め、洞窟をあとにする。滝の水飛沫が空気を冷やしていて心地いい。地平線の向こうが徐々に明るくなっていくのが見えて、自然と口角が上がった。
夜が明ける。陽が昇る。我が国の、私の、永久に続く栄光が今、此処に始まる。