D01 秘密が見える目の彼女

 人に隠しておきたいこと、恥ずかしいこと、誰にだってあると思います。つらいできごとや、消してしまいたい過去だって。
 私は人の目を見ることで、それがわかってしまうのです。どうしてこんな力があるのか、全くわかりません。おかげでたくさんひどい目にあいました。単に、若いころの恥ずかしい失敗を見るだけだったらいいのです。違うのです。一見優しそうな人が、裏で残虐なことをしていたり、尊敬している人が、裏で悪事に手を染めていたり……。私のことを、陰で罵っている人もいました。そのひとつひとつ、細かな表情や色彩まで、私は目に焼きつけることができるのです。
「私はもう誰とも、心の底から仲良くなれない」
 私はなるべく、クラスメイトと話さないように努めました。将来、友達どころか、きっと恋人だって、結婚だってできないでしょう。見るだけでパートナーの隠したいことがわかる女なんて、嫌すぎます。家族ですら私を気味悪がっています。
 おそらく私のことをわかってくれる人なんて、この世にいないのです。


 ***** 

 杉本めぐみは、おかしいところがふたつもある女だ。
 ひとつは、普段はおとなしいのに、かけている眼鏡を外すとおしゃべりなバカになること。もうひとつは、眼鏡をはずした目で人の目を見ると、相手が恥ずかしいと思っている過去を、見ることができること。

  

「ここに置いてあった財布がない……」
 女子生徒はポツリとつぶやいた。その声は休み時間中の、騒がしい教室のなかで静かに響き、何人かの生徒の視線が集まった。
 俺は教室の端の席でスマホをいじりながら、そのやりとりを横目で見ていた。
「えー、家に忘れてきたんじゃない?」
「ううん、さっきの数学の時間まではあったの。音楽の授業で教室移動したときに、持っていくの忘れちゃって……」
 まわりの女子生徒が、床や机のまわりを探す。そのとき、別の誰かが余計なことを言い出した。
「中居くんが音楽の時間、教室に残ってたよ。聞いてみたら?」
 ちら、と女子集団の視線が俺に集まる。俺は机の上に座って、スマホを見るふりをする。
 しばらく気づかないふりをしていたが、やがて視線に耐えられなくなって、俺は女子集団の方に向かって首を振った。
「知らねえ。俺じゃねえよ」
「別に疑ってるわけじゃないわよ。教室に他に誰かいなかった?」
「俺以外、いなかったね。なくしただけだろ」
 それでも、女子生徒たちは納得していない表情を崩さなかった。
「なんだよ、俺を疑ってんのか? 俺じゃねえ!」
 俺は急にイラついてしまって、叫んで教室を出てしまった。
 やりとりをしているあいだ、目の端で、別の女子生徒が俺を見つめているのがわかった。
 眼鏡をかけた黒髪の女子生徒。
 いつもは長い前髪で見えない黒い瞳が、急にはっきり見えるような気がした。
 
 なんとなく教室にいたくなかった俺は、午後の数学と英語の授業もさぼった。隠れ家である、木造旧校舎の美術室で煙を吐く。ブレザーを脱いでそのへんの机にひっかけ、買ってきたドリンクをちびちび飲む。
 簡単に言うと、俺は不良ということになるんだろうか。俺は単に、学校というシステムがめんどくさいと思ってるだけだ。だが、今はすべてがどうでもよかった。
 コンコンコン、と廊下から扉をノックする音が聞こえた。俺は座っていた机からずり落ちそうになった。誰かが近づけば、古い廊下から足音が聞こえるはずだった。それがなかったものだから、俺はあわてて煙草を携帯灰皿に隠す。
「こんにちは、中居くん」
 ガラリと扉を開けて、杉本めぐみが姿をあらわした。このときの彼女の姿は忘れられない。肩までの黒い髪が、いつもより跳ねている気がする。なにより、トレードマークの黒縁の眼鏡をかけておらず、いつもはよく見えないまんまるの目が、きりっと光っている。
 1対1で彼女と言葉を交わすのは、おそらくこれが初めてだった。
「なんだ?」
「やっぱりここでさぼってんのね。あーんもうタバコのにおい、嫌いなのよ」
 杉本めぐみは手で振り払うような仕草をし、ぼろい教室の中に入る。
「何か用か?」
「ちょーとおしゃべりしようかと思って。さっきの教室での話」
 彼女は俺からふたつ離れた机に、跳び乗るように座った。
「……きみも俺を疑ってるのか? 移動教室のあいだ、ただ授業さぼって教室にいただけで、財布パクったって言うんだな。どうせ俺がそうしそうだって言いたいんだろ。疑いたきゃ、疑えよ」
 疑われることには慣れているが、とにかくひとりにしてほしかった。
 めぐみは俺の言葉を無視して、右手の指で輪をつくり、輪の中から俺をのぞきこんだ。
「あたしね、こうやってすると、人の隠してることがわかるの」
 俺は明後日のほうを向いた。

 
「そりゃすげえな。関係ないけど、きみってそんなキャラだったか? もっとおとなしい子だと思ってた」
「ふふ、今はね、あたしはあんたの知ってる<杉本めぐみ>じゃないの。あたしのことはメグミちゃんって呼んでね。それか『最高にかわいくてきれいでキュートなメグミ様』。あーんかわいい」
 <メグミ>は両手を頬に当て、勝手に恥ずかしがっている。
「……めぐみさんの、双子ってことか?」
「ちがうちがう。こんなヤバイ力があるからね、あんたがひそかに惚れてる<めぐみちゃん>は、いっつもオドオドしてて、目を伏せてて、人と目を合わせようとしないわけ。相手のイヤ~なところがわかっちゃうからね。だから、この力を使うときは、あたしが代わりに出てくるの。二重人格ってやつ?」
 メグミはまた指で輪っかをつくり、目にあてて俺を見つめた。
「ひとつテストしようか? あんたが隠してる恥ずかしいこと、あててあげる」
 俺はドリンクのストローを口に運び、彼女の動きを見ていた。
「あんたはもうひとりのあたし、<めぐみ>のことが好き。めぐみの誕生日に勝手にプレゼントを用意したこともある。プレゼントは近くの本屋さんでラッピングしてもらった文庫本。でもどうやって渡そうか考えているうちに、結局渡せなくて本を捨てちゃう。
 家ではめぐみちゃんを想像して――うわ、そんなことまでしてんの」
 あやうくドリンクを吹き出しそうになった。俺は自分の考えていることが読まれたようで、シャツの上から胸をかきむしる。
「おまえ……ぶっ殺すぞ」
「ほら、当たってるでしょ?」
「当たってるかどうか、言うわけないだろ。当てずっぽうで言ってるかもしれねえ。もっとすごいもん当てろよ」
 メグミはくるりと指で輪をつくり、輪の中から俺を見つめる。
「じゃああたしの目を見て」
 俺は横目で、メグミの目をちらっと見た。くりくりした目。普段はメガネと前髪で隠れていて、俺は彼女の目を見たことがなかった。俺の動きを見逃すまいとするように、彼女は俺の目を見つめている。
 しばらく、沈黙があった。俺はちらちらと視線をそらしながら、それでも彼女の目を見つめずにはいられなかった。彼女が石像のように動かず、真剣に俺を覗いていたからだ。
 叫びたくなるような、しんとした教室。グラウンドから体育の授業を受ける生徒の声が聞こえる。
 ふと気がつくと、メグミの手が震えていた。桃色の唇が小さく開き、眉をきゅっとひそめている。俺はだんだんと怖くなってきた。
 メグミは手を下ろしてひらひらと振った。
「あ、ごめん、まちがえた。まさかこんなのが出るとは思ってなくて」
 彼女は気まずそうに俺から目をそらし、床のほうを見つめた。見られていたときはきつかったのに、そう視線を外されると、それはそれで傷つく。
「何が出たんだ?」
「あんたの家族のこと」
 一瞬、心臓に釘を打ちこまれたかと思った。
 もしかして、まさか、な。
「……確かに、そりゃ隠しておきたいことだな。何が出た?」
「……たぶん、あんたのお父さんがお母さんを、殴ってる。で、お母さんも、小さいときのあんたを殴ってる」

 これが偶然なのかどうか、俺にはわからなかった。彼女がカマをかけた? それとも彼女が、俺の家を監視していた?
「へ、なんだそりゃ……そんなわけねーだろ」
 俺は苦笑して、首をふろうとした。そんなわけがない。
 また沈黙が降りた。結果としてそれが、彼女の言ったことを認めることになった。
 つまり、彼女の能力を。
「ごめんね。こんなことするために来たんじゃないの」
「うるせえ。帰れよ」俺は彼女の姿が見られなかった。もう横を見ることすらできない。
「ごめんって。さっきの教室の事件、あんたがやったんじゃないんでしょ?」
 俺は目をとじて唇をかんだ。完全に当たっていた。俺にとって誰にも知られたくないこと。俺が一番恥ずかしく思っていること。俺の家のこと。めぐみさんに一番知られたくないこと。
 メグミは両手を合わせた。
「ごめんってば。あたしがなんでここに来たかわかる? あんたと話そう、って言い出したのは、あっちの<めぐみ>なの。あんたが濡れ衣着せられるの見たくないからって、勇気出してここに来たの。直前であたしと入れ替わっちゃったけど、あんたを助けたいって言って――」
「だったらどうして俺と直接話さねえんだよ! 俺がクソみたいな家の生まれだからか!?」
 俺は激昂した。メグミの体が小さく跳ねる。
 彼女が俺を気づかってくれているぶん、それが悲しかった。


 驚いたメグミは、ポケットからメガネケースを取り出した。俺から視線をそらし、両手で黒ぶちのメガネをゆっくりと装着する。長い黒髪が大きく揺れた。
 また、メグミの手が震えだした。
 いや、彼女はメグミじゃない。
「……ごめんね、中居くん」
 もうひとりの<めぐみ>さんは、震える声で言葉を吐き出した。髪が邪魔をして、彼女の表情は見えない。しばらくして、すすり泣きが聞こえてきた。
「ごめんね……中居くん。私、怖くて。中居くんのこと、じゃないよ。私、いままでいろんな人の過去、見てきてね。ひどいのもあったの。見たくなくても見えちゃって、耐えられなくなっちゃうの。
 ごめんね、中居くんのこと、勝手に見ちゃって、ずるいよね。ごめんね……」
 俺はさっきまでの怒りがすっぽりと抜けていた。かわりに慌てた。いきなり目の前で好きな女の子が泣き出したら、誰だって慌てる。ただすぐに謝るのもばつが悪かった。
「いや……わりぃ。俺も悪かった。ってか、俺の過去なんかいくら見てもいいけどさ、ロクなもんないよ。情けねえ家のことしかないし」
「……でも、一番に見えたのが、中井くんが悪いことしてるのじゃなくて、よかった」
「まあ、悪いこともしてきたけどさ……俺、バカだし」
 めぐみさんは真っ赤な顔のままこちらを向き、少しだけ笑顔を見せた。俺もほっとして苦笑する。
 彼女はハンカチを取り出し、メガネを外して涙をぬぐった。ああ、こういうときに出せるハンカチを用意しておくべきだ。俺は自分の頭をはたく。
 めぐみさんは顔を上げて、うーんと伸びをした。嫌な予感がした。
「あースッキリした。さすがはめぐみちゃんだわ。涙いっぱつ」
「なんでおまえに戻るんだよ」
 俺は伸ばそうとしていた手をひっこめた。もとに戻った<メグミ>は、笑いながら手の甲で目をこすっている。
「こうしないと話が進まないでしょうが。やーね、<めぐみ>になったとたんデレデレしちゃって」
 うるさい、と俺は机に座りなおす。あんなおとなしい女の子にとっては、俺と話すのも怖いものなのだろう。メグミとめぐみさんは性格が違うが、顔はだいたい一緒である。
「じゃ、話を戻しましょ。教室での財布盗み事件、あんたの無実を証明するの」

 *****

 俺は頭をかいた。
「無実を証明するっつったって、どうするんだよ。あんたの力、そんなに広範囲に使えるのか? かたっぱしから生徒全員に、『あなたが財布を盗みましたか』って聞くのか?」
「するわけないでしょ、そんなめんどくさいこと」
「だったらどうする。あんたの力があっても迷宮入りだぞ」
 メグミは馬鹿にしたように首をふる。
「なんかあんた、犯人を探すのは無理って言ってるみたいね」
「そうは言わねえ」
「あたし、もう犯人を知ってるのよ」
「はぁ?」
 俺は眉をひそめた。だったらなんで俺んとこに来るんだよ。
 メグミは指をOの字にして、俺をのぞきこむ。
「あんた、あたしにまだ隠してることあるでしょ」
「なにも隠してねえよ」俺は目をそらした。
「うっそ~。パソコンであんなエッチな動画も見るし、メガネをかけた子が好きなんでしょ? あ~めぐみは危ないわ。あんなんでオカズにされちゃって」
「頼むからやめてくれそれ」
 メグミはケラケラと笑う。
「でも。隠してることはあるでしょ。あんたは確かに財布を盗んでない。
 けど、あんたは財布を盗んだ犯人を知っている」

 少しだけ、沈黙がおりた。
 その時間は、俺が、なんて返事するのが自然なんだろう、と考えた時間でもあった。
「なんで、そうなるんだよ」
「あんたは財布が盗まれたとき、つまり教室にだれもいないとき、廊下から教室に入ろうとした。そのとき、教室から慌てて出てくる誰かを見てしまった」
「それもあんたの能力で見たのか?」
「ううん、あんたが最初、あたしとこの話をしようとしたとき、やたらと『俺を疑え』って言ってたでしょ。はじめはヤケになったのかなって思ったけど、違った。あんたは犯人をかばってる。
 教室でおおげさに『俺じゃねえ』って叫んだのも、自分を犯人にするためでしょ?」
 彼女は腕を組んで、俺の表情を見逃すまいと見つめている。
 ……こいつほど、ウソが効かない人間もいない。
「別にあたしは、誰をかばってもいいけど、あたしの前で変なお芝居はやめてよね」
 俺はため息をついた。大きくかぶりをふる。
「……あいつが財布を盗んだ理由は、わかんねえ」
「同じクラスの子?」
 俺は頷いた。天井を仰いで目を閉じる。
「なんでその子をかばってんの?」
「……あいつはバカなダチだ。けど、俺の家のことを知っても、俺をバカにしなかった。むしろ、俺のことを気づかってくれた。それだけだ」
 俺は携帯灰皿をとりだし、まだ半分以上残っている煙草をくわえた。
 あいつ、なんであんなことしたんだろう。
 メグミはかくんと肩を落とした。
「信じてる人の、嫌なところを見ちゃう気持ち、わかるけどさ」
「……まだあいつが犯人だとばれていなかったら、あとで自首をすすめに行く。それでいいか?」
 メグミはやや間を置いて、うなずいた。


 ****

 メグミは手を2度叩いて、これで終わり、というふうに手を組んだ。
「あんた、意外と友達想いなんだね。意外だわ~」
「うるせえ、おめえに問い詰められなきゃ、バレずに終わってたのによ」
「あんたがかばってたこと、あたしは黙ってるから、代わりにあたしの力のことは誰にも言わないでよね」
「こんなこと言っても誰も信じねえよ。人の秘密がわかる力、なんて」
 そう言って隣を見ると、メグミが今まさに、黒ぶちの眼鏡をかけようとしていた。
 俺はとびあがって煙草をしまい、姿勢を正した。人格がコロコロ変わるのはやめてほしい。
「……ありがとう、中居くん」
 メグミとは違う、凛とした声が耳に届く。<めぐみ>さんは微笑んだ。
「……本当はね、メグミちゃん、ずっとまえから、中居くんと話そうって言ってたの」
 俺は眉をひそめた。
「ずっと私、自分の力のこと、誰にも言えなかったんだけどね。中居くんになら言ってもいいんじゃないかって。
 中居くんなら、私たちのこと、気味悪く見ないんじゃないかって。その……不良だけど、そのぶん、悪いことを許してくれそうだから」
 彼女は恥ずかしそうに微笑む。俺は喜んでいいのかどうかわからなかったが、とりあえず、別に彼女らを嫌悪するつもりはなかった。これはめぐみさんが、一応俺のことを、気の置けない人だと認めてくれたのだろうか。
 俺は彼女の大事な秘密を知った気がして、少しうれしくなった。これから裏で恥ずかしいことはしない。たぶん。いやきっと。


 
 めぐみさんはもう一度メガネを外し、俺を指差した。
「ねえねえ、あたしさ、この能力使って探偵やろうと思うんだけど。あんた助手になんない?」
 イヤに決まってんだろ、と俺は<メグミ>の目をにらんだ。
 それが俺のできる誠意の見せ方だった。