D07 オズ ―知識の光をもたらした魔女―

 魔女はこの結末を知っていたのだ。
 全てを灼き尽くす炎を見つめながら、セイングレトは呆然と立ち竦んでいた。

 セイングレトが物心ついてから拡大の一途を辿ってきた壮麗な都は、今や炎と黒煙の海の底だ。導刻の惑星リーアリーナがほんの一周巡る前には、百億の電飾が視界一面に輝き渡っていた都だ。だが今は、黒煙の海の中にまだ崩れていない建造物が岩礁のようにそびえ立つのみ。セイングレトが勤めていた管理区も、百年前の恋人と歩んだ歴史保存地区も、世界の他のあらゆる場所と同じように炎の中にある。


「私がもたらすのは知識の光」

 かつて異界からやって来た魔女は厳かにそう言った。

「その光はやがて世界を灼き尽くすだろう。それでも知識が欲しいかい」

 からかうような瞳の中に、真剣さは見当たらなかった。だから誰も彼女の言葉を本気になどしなかった。だいたい現実感というものがないのだ。
 鉄の鳥が人間を乗せて空を飛び、地の果ての人間とまるでその場にいるかのように話が出来、海の底も空の向こうさえも人の手が及ばぬ所のない世界。小さな子どもですら当たり前のように魔術のような何かを扱い、水にも光にも炎にも困ることなくほとんど無限に使うことが出来る。
 魔女の語った異世界の国は、そんなとても現実とは思えないことが技術と知識によって実現されていた。そんな夢物語を信じられるはずがない。
 だが、セイングレトの母国ケレイディスの王は信じた。

「いいだろう。お前たちが望むのなら」

 魔女はそう言って嗤った。三百年前のことだ。セイングレトはまだ幼い子どもだった。

「私が与えるものは知識。お前たちはそれを自分自身の手で操るのだ」

 その手が過ちを犯さないことを祈る。

 セイングレトたちと違って短い寿命しか持たない魔女は、そう最後に言い残し、二百五十年前にこの世を去った。


 魔女のもたらした知識は、ケレイディスに大いなる革命をももたらした。石積みの平屋建ての家屋は瞬く間にガラスとコンクリートの高層建築に変わり、地走竜が担っていた移動と輸送も鉄道に取って代わられた。

 知識は力だった。ケレイディスの王は、やがて魔女がもたらす知識を国家機密として守るようになった。魔女はそれを嫌がったが、その頃には魔女の教えがなくとも、新たな発明は次々に生み出されるようになっていた。富み栄えていくケレイディスに、周辺の小国は徐々に呑み込まれていった。
 それを快く思わない大国ロレナスはケレイディスの技術を盗もうと幾度も間諜を送り込んできたが、ついに技術的に追いついてくることはなかった。

 ケレイディスはロレナスに攻め入り、一夜にして勝利した。魔女が死んだ五年後のことだ。ケレイディスはその後も武力を背景に次々と合併を望まない国々を攻め落とし、得た物資は全て魔女がもたらした知識の実現に費やされた。中央はますます富み栄え、地方にされたかつての隣国は中央との格差をなくそうと躍起になった。

 平和をもたらすための支配だったはずだ。ケレイディスが小競り合いを繰り返す諸国を併合し、全ての地域を一つの国家として治める。戦争はなくなり、皆は平等になり、恒久の平和が訪れる。

 ぜんぶ、夢物語だった。百年経っても、二百年経っても、距離の壁も言葉の壁もなくなりはしなかった。ケレイディスの人間が「俺たちは」というときは地方の人間のことは頭になく、ロレナスの人間が「俺たちは」というときは、ロレナス以外の人間のことは勘定に入っていなかった。「俺たち」じゃない人間とわかり合うなんてことは、通信技術がどんなに発展しても出来なかった。


 だから世界は、炎に包まれている。人間の手によって。

 呆然と都を見下ろすセイングレトの耳に、誰かが魔女を呪う声が飛び込んできた。
 都を見下ろす高台の避難所は、人々でごった返している。

「魔女はこうなることを知っていたんだ。世界を灼き尽くす魔女め! やはりすぐに殺しておくべきだった!」

 知っていた。そう、彼女は知っていただろう。だからこそ予言した。知識は世界を灼き尽くすと。だからこそ、祈っていた。人の手が過ちを犯さないことを。



 寿命も違う、まったく別の生き物なのに、なぜ彼女がセイングレトたちと同じ姿形をしていたのか、結局誰にもわからなかった。その手のやわらかさも、ぬくもりも、何一つ他の人間と変わるところはなかったのに、あまりにも早く彼女は老い、逝ってしまった。

「君はあと七百年は生きる。そう設定されている」

 彼女が望んで残されることになった歴史保存地区を、手を繋いで歩いていた。セイングレトが魔女の相手をする子どもたちの一人に選ばれた頃には、魔女はもう年老いていて、地這虫との競争にも負けそうなくらいゆっくりとしか歩けなかった。
 そのひと区画以外は、全て彼女がもたらした知識で埋め尽くされていく途中で、車が猛スピードで駆け抜けていく道は魔女が散策を楽しむのには不向きだった。

「病気にかかったり、事故に遭ったりしなければね」

 生意気に言い返した自分に、魔女は微笑む。

「そうならないように祈るよ。長く生きればその分賢くなれるのか、私は知りたいのだ」

 まぶしそうに細められた視線が、ビルとビルの間の空を見上げる。ここに来たばかりの頃は、挑発的な笑みを浮かべ、上層部を手玉に取るばかりだった魔女も、一線を引いてからは子どもとのふれあいを楽しみに余生を過ごす気の良い老婆だ。
 しわしわになった手を握ったまま、セイングレトは石造りの家の間の小道をゆっくりと歩く。

「その手で作り上げていっておくれ。私の世界が失ってしまった未来を。そして私に示しておくれ。人の手が過ちを犯すだけのものではないことを。偽物でもいい。ずっと見ているよ、私の希望」

 魔女がつぶやいた祈りが、セイングレトが覚えている彼女の最後の言葉だ。その願いが燃え落ちていく様を、今、セイングレトは見ている。