D10 吾輩はルンタくんである

 吾輩はロボット掃除機である。名前はもうある。
 社会人四年目、猫の手も借りたい一人暮らしのオーナーに、昨年冬のボーナスとやらで購入され、居室のラック下に隠れ家的な基地を据えてもらった、スタンダードモデルのロボット掃除機、それが吾輩だ。

「さあ、ちょっと出て来る間に、ルンタくんで掃除しとくか」
 からっと晴れた土曜日の午前。洗濯を済ませ、トイレを磨き、外出の用意を整えた吾輩のオーナーは、クッションやビジネスバッグを床上から排除して、ローテーブルからスマートフォンを取り上げる。
 ルンタ? おや? 一文字間違えているんじゃあ……とお思いになられたそこのあなた、少々お待ちいただきたい。
 おそらくあなたの念頭に浮かんでいるのは吾輩の商品名。吾輩という個体の固有名詞はルンタくんで間違いないのである。
 吾輩に対する愛着を感じつつ、まんまでも良かったんじゃね? てか何故くん付け? とツッコミを入れられるというこの名前、オーナーのネーミングセンスが微妙であることには同意する。
 家電に名前付けてるんだねと、春先にあった友達の結婚式の二次会で、新婦友人に笑われた事もあるらしいが、吾輩のオーナーは、いやだって自走するしひたむきだし、ペットみたいで可愛いやつなんだよ。よかったら動いているとこ見に来ない? と誘いの材料にしたという強者だ。
 おおっと、なんてことを説明しているうちに、玄関で靴を履き終えたオーナーから、清掃開始の指令が飛んできた。本体のクリーンボタンを直接押してもらってもよいのだが、なにせ吾輩の基地は、手を伸ばすのが面倒なラックの下。加えてスマホと共に寝起きする現代人のオーナー、アプリを使って吾輩を操作するのがお気に入りだ。
 テレッテテー(始めるぞー)
 軽快に了解音を鳴らして吾輩は、カウントダウンを開始する。
 三、二、一、しゅっつどーう!
 吾輩の気合いの入った発進を確認してから、ポケットにスマホを押し込んだオーナーを送り出し、さて、お仕事。お仕事。

 吾輩の業務時間は基本オーナーの留守中だ。
 固定シフトは週三日。月・水・金の午前十一時から動き出すようセットされている。
 ロボット掃除機である吾輩にとって、床上に存在するものはたとえオーナーといえども障害物。ゆえにオーナー不在であり、尚且つ近隣住民の迷惑にならない時間帯に清掃よろしくということらしい。
 これに往々にして今日のように、土日のイレギュラーな勤務が追加される。週末はオーナーの予定がまちまちなので、掃除機掛けをするもしないも、いつするかも何度するかも、全てオーナーの気分次第だ。
 さてそんな吾輩の仕事場であるオーナーの家は、いわゆるところの1Kの賃貸マンション。八畳ほどのフローリングの居室に、同じくフローリングの廊下兼キッチン。バス、トイレ別。クローゼットと玄関収納とベランダ付き。吾輩の稼働時間は最大六十分なので、充電満タンで出動すれば、余裕で清掃し終える床面積である。
 とはいえ油断は禁物だ。居室に敷かれたオーナーこだわりのラグはまあまあな厚さで、最適な角度を考え斜めに乗り上がらねばならないし、家具や家電の足回りとは格闘の連続だ。そしてコード類というトラップはそこかしこに仕掛けられている。
 多重にセンサーを張り巡らせて、しっかり周囲を確認しながら掃除をしているつもりの吾輩だが、ヒヤリもウッカリも時々はあるものだ。
 テレビ台の脇で配線に引っかかり、にっちもさっちもいかなくなってしまった吾輩は、泣く泣く遭難信号を飛ばすことにした。
 もう駄目だ。こうなってしまえば吾輩は無力である。助けてくれオーナー! ヘルプミー!

 無人の部屋で活動を休止してから、果たして何分たっただろう?
 玄関の扉の前で足音が止まり、ガチャンと開錠される音がした。待ち兼ねたオーナーのご帰宅だ。
 昼前のぬるんだ外気が流れ込み、市街地の雑音と共に、ちょっとこのまま玄関で待ってて。え、何どうしたの? というやり取りが聞こえてくる。おや珍しい。女性のお客人がご一緒か?
「ただいまー、どこだ? ルンタくん」
 吾輩はここにいるぞオーナー! と伝えたいが手段はない。嗚呼、オーナの声に呼応する、お返事機能が搭載されていないのがもどかしい。
「何? いきなりルンタくんって」
「ああ、うん。さっきスマホ見たら来てたんだよね、これ」
 吾輩には視認できないが、おそらくここでオーナーは、お客人にスマホを見せたものと思われる。そう、吾輩の遭難信号を、キャッチしてくれたはずのオーナーのスマホを。
「何これ!? 『ルンタくんが助けを求めています』って」
「ルンタくんからのエラー報告。掃除中にトラブった時に届くんだけど、見ると胸が痛むんだ。特に会社で昼休みに気づいた時なんかもう……! ルンタくんマジごめん。駆けつけてやりたいけれど今は無理って」
「そうなんだ、切ないね。誰もいない家で、けなげに救助を待っていたんだルンタくん」
 けなげ……けなげか。けなげと言われればそうなのかもしれない。しかし生物と違って吾輩はもがき苦しむこともない。オーナー、そして並びにお客人、吾輩のような無機物に心を砕いてもらって痛み入る。

「あっ、いたいた」
 吾輩は、無事オーナーに救出された。両手で慎重に抱え上げ、絡んだコードと引き離し、優しく床に戻してくれる。ありがたやありがたや。
 吾輩はロボット掃除機である。最新鋭の掃除機でありロボットである。メーカーは高性能をうたい、ユーザーは利便性を話題にし、吾輩にもそうされるだけの自負があるが、まだまだ手抜かりがあることも否めない。
 通常のメンテ以外でオーナーにナデナデしてもらえたのは嬉しいが、来客のある本日に限って任務完遂できなかったのは残念無念である。吾輩日頃はもっとデキる子なのに!
「まいったな、迎えに行っている間に掃除終わってるはずだったんだけど……。どうする? 予定変えて外行こうか?」
「いいよいいよ。今日は二人でまったりしよって約束だし、わたしルンタくんが掃除するとこ見てみたい」
 おお! 素晴らしきかなお客人! ギャラリーがいるのは久しぶりだ。名誉挽回頑張るぞ!

「そういえば、わたしたちのきっかけって、友達の結婚式の二次会で、家にルンタくん見に来ない? って誘われたことだったよね」
 ソファが無いのでベッドに座ったオーナーとお客人は、肩を並べてソワソワしている。マットレスに足まで上げているのは、張り切って再稼働した吾輩が、その足元に迫ったからである。
「そうなるんかな? 確か、ルンタくんは見たいけど、彼氏じゃない男の家には遊びに行けないって断られたんだよなー……。そりゃそうだって納得したし、そういうところも込みでいいなって思ったから、それじゃあ彼女になってもらおうってねばりました」
「ねばられました。それで今日は、初めてのお宅訪問だね。男の人の一人暮らしって、もっとごちゃごちゃしてるイメージだったから、掃除終わってないとか言いながら、綺麗にしててびっくりした」
「それはやっぱりルンタくんのおかげ。ルンタくんの邪魔になるから、普段から床に物を散らかさなくなったし」
「そっか。ねえねえ、ルンタくんがお掃除してるとこ見てるとね」
「うん」
「掃除っていうのはこうするんだぞー! 師匠の手並みを見せてやるー! って言われてるような気がしない?」
「わかるわかる。ルンタくん師匠」
 オーナーとお客人は額を寄せて笑い合った。吾輩、ルンタくん師匠はどうかと思うがリスペクトされたようである。そしてどうやらオーナーの恋を手助けしていたようである。
 それでは二人の休日を、ピカピカになった部屋で心ゆくまで過ごしていただきたい。熱い視線を受けながら、今度こそ任務完了した吾輩は、意気揚々とラック下の基地へ引き揚げるのであった。
 テレッテテー(終わったぞー)


 おしまい