E03 機械細工職人と機械義手

 彼の手は、冷たかった。
 初めて機械義手に触ったからそう感じたのかも知れない。今時珍しい、人工皮膚を使わないフルメタル製で、可動部が全部丸見えだ。動かす度にウィンウィンと軋むような音が鳴った。
 目を丸くした私に、彼は申し訳なさそうに小さく笑う。
「もしかして見たことなかった? 怖い……だろ? 嫌ならこの話はもう終わりで」
 そこまで言った彼の顔は酷く辛そうだった。
 私は必死に首を横に振る。
「ち、違いますクリフォードさん。私、初めて見たから、その。驚いた、だけで」
 両手を同時に振って必死にアピールする姿に、益々申し訳なさが募ったのだろうか。クリフォードさんは機械義手の右手で頭をポリポリと掻き、口元を歪ませる。
「僕のような障碍者がまさか機械細工をしてるなんて思ってもみなかったんだろう。当然だ。なにせ、指先の感覚がないんだ。こんな、肩から先を失った人間が作っているようなもの、たかが知れていると思うのは正常なこと。君が気にすることじゃないよ、ライザ」
 差し出された手をきちんと握ってさえいれば良かったと後悔する。
 アトリエに出向くまで、彼の仕事以外のことは何も知らなかった。それ以上のこともきちんと下調べするべきだったのだと思う。
 義手が嫌なわけじゃない。
 知らなかったことに恥を感じたのだ。
 片田舎に小さなアトリエを構え、ひっそりと作っているという彼の作品に、私は光を見て、(とりこ)になった。彼がどんな人間かは、作品を見ればなんとなくわかる。繊細で優しい人柄が、作品に全部透けて見えていた。
 義手なんて、本当は気にするべきことではないのだ。
 (むし)ろ、このゴツゴツとした義手でどう独特の世界を作り出すのか、そちらの方に興味が湧く。
「――クリフォードさん。私を、弟子にしてくださいませんか」
 振り絞って出した言葉に、クリフォードさんの目が大きく開く。
「本気かい? ライザ」
「勿論です。そのために、ここまで来たんですから」
 私はしっかりと、彼に伝わるようひとつひとつの言葉に力を込めた。
 クリフォードさんは顔中シワだらけにして目を潤ませ、
「ありがとう、ライザ。そして、どうぞよろしく」と笑った。


 *


 “歯車の芸術”――機械細工職人は、自らの仕事をそう呼ぶ。
 美しさを極めるため、彼らはミリ単位の歯車を組み合わせ、美しい作品を作り出す。
 時計のように持ち歩きの出来る実用性のある細工から、ときにはジオラマ大のものまで、様々な作品が世に出回っている。
 かつては手作業で職人が作るのが当たり前だったそれも、時代が進むにつれ人間はあくまで設計図を作るまで、組み立ては機械でというのが主流になって。けれど、それをあえて人間の手で、機械だけじゃない、様々な物――例えば木の実や木材、ときには石や宝石を組み合わせて新たな命を吹き込んでいくのが機械細工職人の仕事。ガラスやアクリルで覆われたケースの中で、どれだけ美しく歯車を回せるのか。機械細工職人たちはこぞって自分たちの腕を磨いている。
 クリフォード・J・スミスという職人の作品に触れたのは、小さな展示会でのこと。
 機械仕掛けの鳥が静かに天から舞い降り、木々を揺らして星に変え、広大な海の上を飛んでまた空に帰って行くというストーリー仕立てのジオラマに、私は釘付けになった。大きさは机の半分ほど。立体的なジオラマに球状のガラスが被せてあって、私は様々角度からそのジオラマを楽しんだ。
 展示会のパンフレットには、彼は地方都市でアトリエを開き、アクセサリーを作っていると、彼の顔写真と共に書いてあった。右の機械義手のことなど一切触れておらず、その美しい作風から“歯車の奇跡”と呼ばれているとだけ。
 パンフレットの住所を頼りに辿り着いたアトリエは、寂れた住宅街の隅にあった。半分傾きかかったようなボロ家で、油と金属の臭いが外にまで充満していた。外観には何の味気もなく、単なる工場(こうば)にしか見えなかったし、その周辺には花のひとつさえ生えていなかった。
 その光景を見たときに、もっと不安になるべきだったのかも知れない。
 けれど、機械細工というのは音も出るし臭いも出る。閑静な住宅街のど真ん中でやるような作業じゃないっていうのは知っていたから、それほど気にするべきでもないだろうと、私は高をくくってしまったのだ。
 だから、機械義手のクリフォードさんが現れたときには自分の予感は案外当たるんだなと、そういう気持ちもどこかにあって、変な驚き方をしてしまった。私は本当に、失礼な人間だ。
「若い女の子が興味を持ってくれたのは嬉しいよ。アトリエまで来てくれることも珍しい。大抵は機械細工職人の見習いとか、商品を扱いたいビジネスマンとか、そんなんばっかだからね」
 アトリエの隅にひとつだけ綺麗な机がある。
 クリフォードさんの事務机。彼はそこに丸椅子を持ってきて、私に座るように促した。
「狭いけど座って。あ……、汚れてるけど大丈夫?」
「大丈夫です、ありがとうございます」
 年の頃は四十代後半から五十代前半。無精髭、白髪の交じった黒に近い茶髪。容姿にそれほど気を遣わないのか、作業着は機械油の染みだらけ。香水は付けているようだったが、加齢臭が少し勝る。クリフォードさんは、くたびれた中年のおじさんだった。
 薄暗い工場の天井からつり下がった大きめの裸電球が、パチパチとフィラメントを煌めかせて揺れている。機械細工に利用する様々な道具が、びっしりと棚に収められ、足元には作業台まで続くたくさんのコード。作業台の正面には小さな引き出しの付いた棚が括り付けてあった。見出しの付いた透明な引き出しの奥に、小さな部品が透けて見える。
 油にまみれた工場は、決して清潔ではなかった。
「独り身だから、どうしても掃除が行き届かなくて。女の子が来るって知ってたら、もう少し綺麗にしてたんだけど」
 クリフォードさんは恥ずかしそうにはにかんで、私に珈琲を差し出してくれる。その芳醇な匂いさえ、機械油の臭いにかき消されていく。
「こちらこそ、すみません。何のアポイントもなしに。――けど、来て良かった。こういうところで作ってらっしゃるんですね」
「うん。まぁね。できあがった作品ほど綺麗な場所で作ってるわけじゃないって、わかって貰えただけでも良いかな。作業自体、どうも油臭くて。完成品はガラスやケースで覆われてることが多いから全然気付かなかったと思うけど、なにせ手作業なんでね。あ、でもこれが業界全体の常識だとは思わないで。埃ひとつない部屋で防塵服を着込んで細心の注意を払いながら作ってる職人さんも知ってる。要するに、やり方に正解はないってこと」
 ハハハと笑って、クリフォードさんは自分の珈琲を啜る。
 笑うと目が見えなくなる。可愛い笑い方をする人だ。
「隣に展示室があるんだけど、見る?」
「いいんですか?」
「市場に出回ってないヤツ、それから展示会にも出したことがないようなヤツもある。弟子を取れるほど優秀な技術は持ってないが、デザインや機械細工の基礎なら教えられる。僕の実力を見て、君が弟子になりたいと思うなら、僕は歓迎だよ」
「――ありがとうございます!」


 *


 職人という生き物は、どうしてこうもストイックなのだろう。
 彼は生きる時間の殆どを機械細工に注いでいた。
 例えば美味しいランチやディナーを食べようだとか、綺麗な音楽を聴きたいだとか、映画を鑑賞したいだとか。彼は一般人が持つ些細な欲望さえ、持ち合わせてはいなかった。
 細工のデザインを起こし、設計図を引く。
 ある日は延々と設計図を引くばかりで終わり、ある日は歯車の噛み合わせのチェックだけで終わる。
 その時々に私を呼んで、この場合こうしたらこうなるだとか、この角度で噛み合わせるとこの動きになるからだとか、そういうことを嬉しそうに語る。
 家族はいない。恋人もいない。
 音楽は集中力の妨げになるし、金属の微妙な噛み合わせの音を消すからと、一切聞くことがない。
 テレビや芸能、政治にも関心がない。
 彼の興味は常に、機械細工を作ることだけ。
 近くに借りたアパートから、私は毎日のようにアトリエへと通った。見習い分として、クリフォードさんは少しの賃金を払うことを約束してくれた。それまでの貯金も使って、私は機械細工職人の見習いライフを満喫した。


 *


 半月ほど経った頃だったろうか。
「ライザはどうして、突然僕の弟子になろうと?」
 お昼休憩のときだった。
 工場の外、日当たりの良い庭の一角にコンテナを数個置き、椅子とテーブル代わりにしてランチするのが、私たちの日課だった。
 サンドイッチを頬張りながら、私は遂にこの質問が来たかと、気が気ではなかった。
 木々の揺らめきを耳で感じ、口の中を空っぽにしてから、ゆっくりと深呼吸する。
 目を開くと、クリフォードさんの優しい顔がそこにあった。
「……前の職場を辞めたのは、私には合わなかったからだと思います。営業職なんて、人と話すのも苦手なのに選ぶんじゃなかったって思ってからは地獄でした」
「へぇ、営業を」
「ええ。保険の外交員を。気を遣いすぎて、身体を壊しました。数字に負われて頭がおかしくなりそうでした。精神が本当にやられてしまう前に辞めてしまえと思い切ったのは良いのですが、そこから先、どうしても何もやる気が起きなくて。1年ほどブラブラしてました。クリフォードさんの作品を見たのは、ほんの偶然です。不甲斐ない私を見かねて友人に無理やり連れて行かれた展示会で、あなたの作品を見ました。それで、……虜に」
 自分の弱さを出すのはとても勇気がいる。
 私は目を泳がせて、必死にクリフォードさんの視線から逃れようとしていた。
「身体は? もういいの?」
「はい。だいぶ回復しました。もう少しで手術が必要だったと言われて焦りましたけど。無理をしたらいけませんね。クリフォードさんはどうして機械細工を?」
「ん? 僕かい? そうだなぁ。僕は……」
 話を振られた途端、クリフォードさんは黙りこくった。
 今度は私の方からクリフォードさんが視線を逸らす。そして、まくり上げた袖の下から覗く機械義手の右手を何度も握ったり開いたり。
「多額の保険金が手に入ったから、かなぁ」
「――え?」
「妻の分と、息子の分と、それから僕の右腕の分。僕一人が暮らして行くには十分すぎるお金が入ったから、仕事は辞めた。こう見えて事務員だったんだ。夏休みの家族旅行で事故に巻き込まれて。僕だけが助かった。それこそ、虚しさで何もすることが出来なくて、しばらくは廃人同然だったよ」
「……ご、ごめんなさい。私、そんなこと何も知らなくて」
 咄嗟に謝った。でも、もう遅い。
 クリフォードさんは目を潤ませて、静かに笑う。
「この義手は、友人が安価で付けてくれたんだ。利き手がなければ何も出来ないだろうって。で、右腕のリハビリのつもりで好きな機械いじりを始めた。最初はフォークも握れなかった手が、徐々に身体に馴染んでいってさ。失った右腕の感覚を、脳は覚えてるんだ。僕は自分の腕がそこにあったときと同じように動かせるようになれば、あとは年に数回のメンテナンスで自由の身。今では何の違和感もない」
 機械義手の手のひらを私に見せ、クリフォードさんは目を細めた。
 けれど、その後渡しの顔を見て、また表情を曇らせる。
「……ゴメン。余計なこと、喋ったかな」
「い、いえ。余計なことじゃ。寧ろ、とても大切なことです」
 私は下を向いて、ランチを続ける。
 顔を上げると涙が頬を伝っていきそうで、私は彼の顔を見ることが出来なかった。


 *


 雨が降った。
 彼のアトリエに来てから、初めての雨だった。
 クリフォードさんは朝から自分の義手をしきりに気にしていた。
「湿気に弱いんだ。シャワーのときは外してるけど、雨の日はそうもいかない。雨が続くと、しばらくは仕事にならない。こういうときは、作業より事務仕事や売り込みの方に力を入れる」
 工場の掃除をしていた私に、クリフォードさんはおいでおいでする。
「営業、頼むよ」
「え? 営業ですか?」
「そう。百貨店や美術商にアポを取って売り込みに行く。上手く行けば、高値で買い取って貰える。君の賃金になる」
 まさか、ここまで来て営業をさせられるとは思っていなかった私は、慌てふためいて箒をポンと床に落としてしまう。
「で、でも。苦手で辞めたのに」
「君は、思ってるほど話し下手じゃない。大丈夫。君なら出来る」
 クリフォードさんは、ニッコリと笑い、深く頷いた。
 断ることも出来ず、恐る恐る久しぶりの営業架電。高鳴る心臓を必死に押さえつけながらだったが、不思議と口が営業トークを覚えている。スルスルと言葉が次から次へと出ては消えていく。
 隣で仕事をしていたクリフォードさんは、そんな私を見てニヤニヤ顔。
「やっぱり君は、出来る人だ」
 そんな言葉、外交員のときは言われたこともなかった。
 断られても、その会話内容を褒めてくれる。
「自信持って良いよ。君の電話が、いずれ僕の作品を世に出していくんだ」


 *


 いつしか私は、クリフォードさんを一人の男性として見ていた。
 彼は、理想の男性だった。
 もう少し年が近ければ、本気になっていたのかも知れない。
 私の好意を知っていて、クリフォードさんは距離を一切縮めなかった。
 それが、家族を失った彼の信念のように。


 *


 付かず離れずの関係を保ちながら、私はそれから何年となく彼と過ごした。
 彼と私は師匠と弟子。それ以上でもそれ以下でもなかった。
 クリフォード・J・スミス工房の一員として作品を発表するようになると、益々仕事が忙しくなった。
 彼は生き物を、私は植物を題材にする。
 二人展を開いたこともある。
 収入が徐々に安定し、私はこれが天職だと思えるようになっていた。作品を作り、売り込み、そしてまた作品を作る。
 アトリエの隣に小さな小屋を建て、機械細工教室を始めると、子どもからお年寄りまで沢山の人で賑わうようになった。それがまた楽しくて、彼と私は益々機械細工にのめり込んだ。
 傍目には親子にも見えたろうし、夫婦にも見えたろう。
 けれど彼と私はどこまでも、師匠と弟子だった。


 *


 私と二十も違う彼は、当然私より先に旅立ってゆく。
 彼はもう八十を超えて、私もおばあちゃんになっていた。
 彼の痩せ細った身体に見合わぬ機械義手が、今日も軋んだ音を立てる。
 車椅子に乗りながらも、彼は工場で作業台に向かった。もう、目も殆ど見えなくなったというのに。
「ライザ」
 彼は優しい声で私を呼ぶ。
「どうしました、クリフォードさん」
 私もいつものように答える。
「今日は雨が降っているのかい? 手がどうも、上手く動かないんだ」
 外は晴天だった。
 三十分後に始まる機械細工教室のために、少しずつ小屋に人が集まり始めていた。
「どうしたんでしょう。私が手を添えますから、ピンセット持ってみましょうか」
 彼の手をそっと握る。いつもはスッと上がる腕が、鉛のように重い。
「クリフォードさん?」
 彼は、そのまま二度と動かなかった。
 彼の手は、酷く……冷たかった。


<終わり>